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蟹と応挙のまち・兵庫県香美町:2

承前

 「応挙寺」こと大乗寺の特別公開は、2月11日の「新美の巨人たち」(テレビ東京)で特集された。

 記事タイトルの「蟹と応挙のまち」というのは、じつはこの番組の冒頭でも使われていた表現。ひそかに温めていたのに……と嘆くほど突飛なコピーでもないが、「先を越された!」とは思ったものだ。

 これに加えて、香美町には「温泉」もある。
 「蟹と温泉」――このふたつを観光資源とする町は、それこそ山陰から北陸にかけて、日本海側の広い範囲にいくつも分布している。
 だが、そこに「応挙」を加えられるのは、香美町だけ。
 せっかく香美町へ行くのであれば「蟹と温泉と応挙」、このみっつは押さえておきたい。そのような欲があり、少しばかり奮発をして、温泉つきの民宿で蟹づくしのプランを予約したのだった。

白波が磯を洗う
静かな漁村。とにかく、人に会わない
同じ大きさ・かたち、異なる外装の切妻小屋が何棟も連続するさまは、どこか可愛らしい。漁の道具を入れておくものと思われる

 宿に荷物を置いての、気軽な夕暮れのそぞろ歩きである。
 このときの気温は、4度。おまけに、スマホを落としそうになるくらいの暴風が容赦なく吹きつけ、体感温度はかなり低かった。
 冷えきった身体に、熱い湯がしみわたる……長風呂に肩まで浸かって、みずからがまるで「茹で蟹」状態になったところで、いよいよ蟹づくしにとりかかる。

鍋用の蟹
右から蟹味噌の甲羅焼き、蟹の刺身、蓋を開けると焼き蟹、その左が鍋用の蟹。「生」「蒸し焼き」「茹で」と、ひととおり

 いろいろな蟹に夢中でかぶりつきながら、アルコールの力も手伝って脳裏に浮かんできたのは……やっぱり、絵のことだった。

 先日、東京ステーションギャラリーで観たばかりの佐伯祐三《》(1926年頃 個人蔵)。2度の渡仏の谷間の時期に、故郷・大阪で描いた作だ。
 紅潮しきった茹で蟹の鮮やかさ、存外にごつごつとはしておらず滑らかな甲殻の感触を、佐伯は淀みないひと筆で描ききってみせる。
 この絵にはエピソードがある。
 活きが悪いからと姉が廃棄してしまった蟹を佐伯は拾い、ものの30分でこの絵を描いて、そのままの勢いで平らげてしまったのだという。
 掃き溜めの蟹を見て、佐伯は「食べたい」と思ったか、「描きたい」がまさったか、あるいはその両方か。
 いまとなっては知る由もないが、結果的にどちらも「うまく」いったのであろうことは、残された絵を観れば一目瞭然だろう。

 美術作品に登場する蟹は、ほとんどの場合、小さな蟹だ。海中に棲息する脚の長い蟹を描いた作品は、驚くほど少ない。
 真っ先に浮かぶのは宮川香山の蟹の鉢だが、佐伯の《蟹》はなにより「おいしそう」で、香山とはまた違った意味での「蟹の美術」の傑作といえよう。

 他にも、蟹を想起させる造形として、鍋島にみられる特徴的な牡丹唐草文・通称「蟹牡丹」だとか、中国絵画の李郭(りかく)派が描くぽきぽきとした枝ぶり「蟹爪樹(かいそうじゅ)」などが、浮かんでは消えていく。

 これらは蟹という甲殻類を意識して生み出されたものではない。ただ形が似ているというにすぎないのだが……

 ——蟹を食べていても、美術。美術のことを考えていても、蟹。
 「蟹づくし」の妙なループが、ホンモノの蟹を前にして繰り広げられた、ふしぎな夜なのであった。(つづく



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