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生誕360年記念 尾形乾山:2 /岡田美術館

承前

 乾山は晩年に江戸へ下向して以降、絵画作品を手がけるようになった。本展では《夕顔・楓図》(下図)と《秋草図扇面》が出品。

 作品を観ていただければわかるように、乾山の陶と画は地続きで、シームレスなものとなっている。

 ここで思い出されるのはやはり、木米であろう。木米もまた、晩年になってから絵画作品を描きはじめた京の陶工であった。
 乾山は1743年没、木米は1767年生で同時代の人ではないながらも、作家性や経歴に類似するところがある。

(1)翻案・換骨奪胎の名手
(2)技法・意匠のレパートリーが広い
(3)晩年には絵画も

 (1)や(2)はともかくとして、(3)の内実は、乾山と木米でかなり異なっているといわざるをえない。
 陶と画の距離が、乾山の場合は「近い」……というか、ほとんど同一の位置にある。乾山は、絵画作品を手がけるよりもずっと以前から、画のような陶をつくりつづけていた。
 いっぽうで木米の陶と画には、径庭がある。
 木米もうつわに絵を描くが、それはうつわが前提の、うつわなしでは成り立ちえない画——すなわちあくまで「文様」の範囲内にあるものといえよう。
 そのなかでも、《染付名花十図友三段重箱》(京都国立博物館)などは、かなり「絵画寄り」の陶ではある。
 一見して版本の図譜を参照していそうな描きぶりで、じっさいに『方氏墨譜』の図様との類似性が指摘されている。

 ただこれも、個々のモチーフはたしかに絵画的ではあるが、重箱の各面や蓋の起伏に合わせたり、また角度による見え方の変化などを考慮したりといったうえで花卉を組み合わせ、巧みに配置されている。絵がしゃしゃり出てくるような印象はない。

 逆に「絵が主役」といわんばかりの乾山の角皿も、わたしはだいすき。
 土筆やスギナ、早蕨など、美術館のお庭で見かけたばかりの植物がモチーフとなっていた《色絵春草図角皿》、伊勢物語の東下りの一場面を人物を描かず留守文様で表した《色絵宇津山図角皿》には、大いに魅せられた。
 乾山と木米、どちらが優れているかという話では、けっしてないのだが……京焼の歴史に、仁清とともに燦然と輝くこのふたりの「画と陶」をめぐる対照性には、興味が尽きない。

 岡田美術館には木米のやきものはなかったけれど、「若冲と一村」の展示内に、淡彩の《山水図》が出ていた。
 光沢のある絖(ぬめ)の地に、例の潤いあるタッチで山水風景と、そのたもとで煎茶をする人々が描かれている。サントリー美術館で拝見した同じ画題・画風の数点よりも小品ながら、完成度の高い作であった。
 乾山の特集展示よりも先にこの木米《山水図》を観たために、乾山のやきものを前にしつつも、木米を思わざるをえなかった。
 こうして思いがけず連鎖していくのも、美術館めぐりの楽しみのひとつであろう。

岡田美術館のお食事処・開化亭の床の間。掛軸の本紙部分が、壁までぶち抜きになっている。向こう側には、大きな池がある


 ※岡田美術館の特集展示と同じく、「尾形乾山生誕360年」の節目を記念し、出光美術館では「琳派のやきもの —響きあう陶画の美」を開催予定。こちらも期待大(会期は6月10日~7月23日)。

 ※奈良の大和文華館で「乾山と木米—陶磁と絵画—」という展覧会が開かれたことがある(2011年)。展示室の右半分が乾山、左半分が木米で、よいものが厳選されていた。木米の大きな展示が開かれたのは、このとき以来だったかと思う。


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