千利休という戦国時代のカリスマの正体
「千利休」といえば、侘び茶を大成した偉人で、誰もが歴史の教科書などで一度は彼について学んだのではないでしょうか。
「お茶」のイメージもさることがながら、 織田信長、豊臣秀吉という2人の天下人に仕え、数多くの武将や大名から慕われていたことも有名で、とてつもないカリスマ性を持った人物だったといえます。
最近仕事で日本の伝統文化に関わることがあり茶道や禅について興味を持ち、実際に禅をはじめてみたりしたのですが、
色々と調べていたら千利休について非常に興味深い考察を発見しました。
・戦国時代という、波乱の世になぜ「茶会」というものが盛んに行われていたのか?
・「茶会」を語るためには欠かせない、千利休という男は、あの時代に、何を思い、何を見ていたのか?
千利休という人物を通して見る歴史は、いつもと違った角度でその時代に思いを巡らせ、新しい視点で歴史を旅することができて、とってもわくわくしました。
少しの事実と、たくさんの妄想で、千利休という男の正体、そして、茶道の持つ本当の意味について考えてみたいと思います。
※私は、歴史や茶道のプロではありませんので、千利休や茶会・茶道について、少しの歴史の事実から大いに想像力を働かせ、楽しく妄想・空想をしていますのでご了承ください。
■茶道を志す「価値」を作った信長
そもそも、お茶を飲むという文化自体は、奈良・平安時代に、遣唐使や留学僧によってもたらされたと言われています。
そこから、茶道そのものが世の中に定着して行った背景には、千利休、織田信長、豊臣秀吉なくしては語れません。
特に、信長は「茶の湯」を愛し、戦しか知らなかったような者にも茶道を志すように促します。「茶人」として多くの茶会を主催し、そこで茶道具を部下である武将に褒美として贈りました。
こうして彼は、茶道というものの価値を武家社会にどんどん広めていったのです。
戦乱の世、命をかけて戦った先に、勲章として高価な茶道具や、茶会の席での名誉を与える。
今まで、戦で功績を挙げたものに与えられるのは、領土や位階というものでしたが、そこに「茶道具」という新しい価値観を取り入れたのが織田信長でした。
ただここで私が疑問に思ったのが、「なぜ武家社会において価値を高めるために推進していったのが、茶道だったのだろう?」ということでした。
戦の時代だったとはいえ、戦国時代には数々の美術品も生れていたり、
様々な食文化も発達していたり、なにも、「茶道具」でなくてもよかったはずではないのか・・・?
この時代に、わざわざ「茶道」の価値を高めていくことの、何か別の”理由”や”意図”が存在していたのではなか?そう思えてならないのです。
■波乱の戦国時代における「茶会」の役割
茶道の考え方のひとつに、「一期一会(一生に一度しかない貴重な機会)」の精神というものがあります。
当時、出陣の前に、主人が自分の仲間を招き、皆が1つの狭い茶室に集まり一緒にお茶を飲む。しかし、今日、共にお茶を飲んだ人と、もう会うことができないかもしれない、そんなが現実として起きてしまう、厳しい時代でした。
だからこそ、茶道において、「相手を最高にもてなす」という、おもてなしの精神性と作法が確立されていったということもうなずけます。
生きるか死ぬか、の極限の状態で行うものであったからこそ、より『精神性』が求められてきたのだと思います。
実はこの『極限の時代を生きる人達の精神面』に対して、茶道が発揮する役割に信長も注目したのではないか?
そして、そのことを誰よりも理解し、その道を極めていたのが、当時の千利休。ここに、千利休が数々の武将から尊敬・慕われていた理由があるのではないでしょうか。
■茶の湯は命がけ。出陣の前の茶会は、「己の命をかけれるのか?」面接の場、そのものだった。
そんな想像を膨らませながら、茶の湯について更に調べていると、
「正座と日本人」という本に、千利休と茶の湯についての、
とてもおもしろい考察を見つけました。
戦国時代、茶の湯は一族の命運をかけた武士同士のいわば面接の場であったのです。出陣の前に茶会を催して、狭い空間で互いに茶を飲み、相手の心を察する。本当に我が将のために命がけで働くのか、それとも寝返って、刃を向けてくるのか。その本心を読み取るのが茶席だった。
(中略)
利休の生きた時代はまさに下克上の戦国の世ですから、昨日の味方が今日には敵になることも十分にありえました。最も用心しなくてはならないのは、実戦中の裏切りです。その点、茶の湯はその相手の本心を見抜くことにうってつけでした。茶会とは、もののふ同士の命がけのやりとりの場でもあったのです。そのため、織田信長をはじめとした武将たちは、大枚をはたいてまで、民間人にすぎない茶の湯の師匠を奪い合いました。
有能な茶の湯の師匠は、茶席で武将の心の揺れを読み取る能力を持っています。
(中略)
相手の心を見抜く能力とそれを味方につける能力とを併せ持っている人物は、武力に秀でた何万人もの兵士に匹敵する力になる。有能な茶頭を持った武将は生き残ることができる。そのため、利休は当初、信長の茶頭に起用されます。茶頭は茶事をつかさどる頭で、武将のブレーンの一人でした。茶頭がいないと、合戦の案配も図れないのですから、戦略も練れません。信長の天下取りを支えたのが利休だったのです。そうした武将のブレーンである茶頭が茶会で武将たちと相対するときは、相手の緊張を解いて、本心を読み取らなければなりません。
(正座と日本人 より参照)
そう、「千利休は、極めて優秀な面接官だった」(のかもしれない)のです。
狭い茶室で、千利休は、時には裏切り者やスパイを見つけ出し、一瞬の心の揺れを見逃さず、「信長殿、次の戦は光秀さんにご注意を・・・・。」などと、伝えていたのではないか・・・・!!!痺れる〜!!!
まるで、今でいう、【メンタリスト】のような人だったのではないかと感じます。
■千利休と茶道、精神面から見る茶道
そう思って、改めて茶道というものを考えてみると、たくさんのルールや決まりがあり、心の乱れを見逃さないように「仕組み化」されている、素晴らしいツールであるなと思うのです。
そもそも、茶道というのは、「動く禅」とも言われていて、
千利休もこのような言葉を残しています。
茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし
これは、目の前のことに集中し、一瞬一瞬を大事にしていこう、という意味で、「禅」の精神そのものなのです。
茶道では、様々な点前の作法が存在しますが、その一つ一つの手順を追っていくことで無意識のうちに「精神を修養する」ことができると言われています。
人間、何かうしろめいたいことや、少しでも気になることがあったりすると、心を静寂に保ち、目の前のことにひたすらに集中するのは、中々難しいものです。
無意識の行動にこそ、気の迷いや、心のざわめきなどが現れてしまいますよね。
そんな人間の性質や心理を深く理解し、人間の心を読み解くための場の支配者であり、メンタリストであったのが、千利休だったのではないでしょうか。
あくまでも、想像ですけどね!
■少しの事実とたくさんの妄想で、歴史の意味を考えてみる
千利休という一人の「人格」にフォーカスをして、改めて歴史や日本の文化を学んでみると、また違った側面から、歴史を楽しむことができるような気がします。
茶道にたくさんの作法や形式がある意味とは?
信長や秀吉が、千利休を重宝していた意味とは?
教科書にはかかれていない、歴史や、日本文化の本当の意味を、少しの事実とたくさんの妄想で、探求していくのも、面白いなと感じています。