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#金閣寺
三島由紀夫の『金閣寺』は天皇なのか?② そんなわけない
テネシー・ウィリアムズの見立ては、『仮面の告白』や『金閣寺』といったややこしい作品の基本構造をものの見事に言い当てている。少なくとも金閣寺そのものに何か決定的な咎があったわけではない。『金閣寺』では主人公の内的問題、吃音と有為子へのねじれた思いが八つ当たり的に金閣寺にぶつけられたに過ぎない。つまり八つ当たりの対象が金閣寺である必要性はなく、交換可能なものではあったとまでは言えるかもしれない。
三島由紀夫の『金閣寺』を読む⑤ ギリシャをあこがれてはならない
第八章はこう始まる
そののちさらに私は歩いて、…おもわず「そののちさら」という言葉を調べた。無論「其後更」である。何故開く?
でまた殷賑がでてくる。
答えはなかった。 いらえはなかった。露伴、独歩、鴎外、鏡花だな。
菊のすがれている素朴な小庭 末枯れた うらがれた とも。草木が盛りの季節を過ぎて枯れはじめる様子。
閉てきった たてきった
私が三島由紀夫のロジック展開を観念の空
三島由紀夫の『金閣寺』を読む④ 私は凡庸さというものが年齢を重ねても、少しも衰えぬのに改めて感心した。
たとい猫は死んでも 青空文庫では福沢諭吉、高村光太郎、寺田寅彦、夏目漱石、和辻哲郎、宮本百合子らが「たとい」を使っている。
お観水 観水活け 観水型
花々は、狼藉たるさまになった。 落花狼藉で女の腹を踏んだ溝口を思い出させる仕掛けか? と思う間もなく、柏木が落花狼藉を始める。女性に乱暴するのだ。
電車の反響がとよもし どよもすが現代 響もす とよもすは万葉集だよ。折口信夫、上田敏、三好
三島由紀夫の『金閣寺』を読む③ ものすごい屁理屈
吃音の溝口が内翻足の柏木に「片輪同士で友達になろう」とする魂胆を見抜かれるくだりは、いかにも才気煥発といった印象が強く、さすが太宰の弟子だと感心してしまう。(三島はずっと太宰を批判してきたが、晩年村松剛との対談で、自分は太宰と同じだと認めた。三島由紀夫を太宰治の弟子だというのはおそらく私一人であろうが、小宮豊隆が漱石の弟子なら、三島由紀夫は確かに太宰治の弟子である。)こうしたひねくれた人間の心の
もっとみる三島由紀夫の『金閣寺』を読む② 或る名僧は死ぬまで自分の寺の銭勘定をしていたそうである。
そう言われてみると、改めてお金にとらわれた人生をむなしく思う。つまり人生にお金以上の価値あるものを見出せなかったということだ。それは余りにもみじめな人生ではなかろうか。またごく当たり前の通俗的な生活であるともいえる。少なくとも三島由紀夫はそうした人生を選ばなかった。
伊東静雄からは俗物扱いされながら、三島は確かに『金閣寺』では「美」という通俗的ではない、お金以上の高尚な価値観を見出そうとして
三島由紀夫の『金閣寺』を読む① 人に理解されないということが唯一の矜りになっていた
本当に久しぶりに『金閣寺』を再読する。
第一章
志楽 京都府加佐郡にあった村
父によれば、金閣ほど美しいものは地上になく… まんま『カレーライス奇譚』だな。真似したな。
酒鬼薔薇君は『金閣寺』を「ナル文体」と呼んだが、序盤はそうでもないな。ごりごりもしていないし、むしろよく抑制されている。
黐 もち ①モチノキの別称。 ②モチノキなどの樹皮で作った粘り気の強い物質。鳥や虫を捕らえ