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三島由紀夫の『金閣寺』を読む②   或る名僧は死ぬまで自分の寺の銭勘定をしていたそうである。

或る名僧は死ぬまで自分の寺の銭勘定をしていたそうである。(三島由紀夫『金閣寺』)

 そう言われてみると、改めてお金にとらわれた人生をむなしく思う。つまり人生にお金以上の価値あるものを見出せなかったということだ。それは余りにもみじめな人生ではなかろうか。またごく当たり前の通俗的な生活であるともいえる。少なくとも三島由紀夫はそうした人生を選ばなかった。

 伊東静雄からは俗物扱いされながら、三島は確かに『金閣寺』では「美」という通俗的ではない、お金以上の高尚な価値観を見出そうとしている。『仮面の告白』が「書く」という営みとの格闘であったとするならば、『愛の渇き』『潮騒』には三島由紀夫という作家の本質的な才能の開花が見られたといっても良いのではなかろうか。三島由紀夫は国文学の知識が豊富、いわゆる「古典がしっかり身に入っている最後の世代」でもあるが、それに加えてしっかり取材して書く、というお勉強ができる作家でもあった。その取材は『豊饒の海』まで徹底して続けられた。従って豊富な語彙による絢爛豪華な文体と圧倒的な情報量によるリアリズム、そして持ち前の観念の空中戦による三島文学というものが成立した。

 三島文学のもう一つの側面は三島由紀夫がお坊ちゃんであったことと無関係ではなかろう。太宰や安吾が生きる事、人の生活に重きを置いたのに対して、三島の美は生活を離れたものだった。『愛の渇き』『潮騒』で描かれた生活はお勉強の成果であり、三島の実感ではない。例えば三島にとって生活とは老婆が突然生卵を飲んで見せる(『豊饒の海』)ようなものであり、お汁粉万歳の太宰よりもなお忌まわしいものだ。人が金から逃れられないのは仕方ないが、程度問題だろう。金を惜しんで私の本を買わないのは、損である。ここまで読んでこの本を買わない人はどうかしている。小銭を惜しんで他に何を得ようというのか?


薬石  禅寺での朝食(粥座・しゅくざ)、昼食(斎座・さいざ)、夕食(薬石・やくせき)

究竟頂 くっきょういただき 金閣寺の最上階

第二章

雛僧  すうそう 幼い僧

 物質というものが、いかにわれわれから遠くに存在し、その存在の仕方が、いかにわれわれから手の届かないものであるかということを、死顔ほど如実に語ってくれるものはなかった。(三島由紀夫『金閣寺』)

 三島はこうして「私」にとってよそよそしく遠い物質という見立てを置く。この感覚はやはり三島独特のもので、極論を言えば「ボールが投げられない」(大江健三郎も同じ)「無理してくっついていた頭と胴体」(Ⓒ石原慎太郎)といったところと結びつく三島の本質的なところの表れであるかのように思える。

起龕 きがん 荼毘(だび)に付すために棺を送り出すこと。鎖龕の次に行う。龕は仏像をおさめる厨子(ずし)。

幡  仏・ 菩薩 ぼさつ の威徳を示すための仏具で、法要や説法のとき、寺院の境内や堂内に立てる飾り布。

長押 なげし

華鬘

ノルマンジー

背(そびら)を返して   また使った。

行人 あんじん

媒立 なかだち

 美ということだけを思いつめると、人間はこの世で最も暗黒な思想にしらずしらずぶつかるのである。人間は多分そういう風にできている。

 こうした解ったような解らないような屁理屈が三島である。最終的に三島の美はジョルジュ・バタイユの美、つまり、美、死、エクスタシーと結びつく。ここで「暗黒の思想」と呼んでいるものを、三島がどれだけジョルジュ・バタイユを意識して書いているのかと言えば、やや曖昧である。

1950年代から訳書刊行が始まり、『蠱惑の夜(C神父)』、『エロティシズム』、『文学と悪』などが出版され、再刊もあり読まれ続けている。著名な『眼球譚』と『マダム・エドワルダ』は、1967年に初めて訳書が出版。1969年から1973年にかけ二見書房で『ジョルジュ・バタイユ著作集』全15巻が刊行した。(ウイキペディア「ジョルジュ・バタイユ」の項より)

 三島由紀夫はフランス語は出来ないので、全著作は読んでいない。ただ麻酔をかけられたまま内臓をえぐり取られる残虐さの中にエクスタシーがあることを最終的には共通了解していた。

銹銀

なるほど、青空文庫で使用例なしか。さすが三島だ。


緋毛氈


膝行  神前や貴人の前などでひざまずき、ひざがしらをついて進退すること。

第三章

啼音  酒鬼薔薇君が『絶歌』で敢えて二回使った語彙だね。

羈絆 行動する人の足手まといになるもの。束縛になるもの。ほだし。この感覚だよね。人とのかかわりのわずらわしさ、これを太宰や三島は露骨に強調する。淋しがり屋の漱石には案外見られなかったもので、鴎外や寺田寅彦、神西清は使うが、漱石は使わなかった言葉だ。

何故露出した腸が凄惨なのであろう。何故人間の内側を見て悚然として、目を覆ったりしなければならないのであろう。

 この悚然・竦然は漱石も芥川も使うが、泉鏡花が「悚然(ぞっ)として」、と訓じて多用する。こうした書きようを見ると、三島は確かにジョルジュ・バタイユ的な美を既に獲得していたように思えてならない。

動顚  非常に驚きあわてること。 仰天。顚は天辺の事。


蹲踞 つくばい 茶室の露地に低く置かれた石製の手水鉢。そんきょと読むと意味が変わる。

フルンケル

 金閣は、音楽の怖ろしい休止のように、鳴りひびく沈黙のように、そこに存在し、屹立していたのである。

 村上春樹作品の多くが様々な料理と音楽に満たされていることは私が改めて書くまでもなかろうが、三島由紀夫の作品には音楽が流れていないことは改めて書いておいても良いだろうか。戯曲には歌舞伎や能、雅楽のけすらいが完全にないかと言えばそうとも言い切れないし、『英霊の聲』は詩でもあるので一種の調子はある。しかし無意識の嫌いな三島の頭は交響曲などを受け付けなかったようで、そういうものを理性で理解しようとして混乱してしまうようだ。言語を排して直接感情に訴えかけるようなものが三島には不快だったようだ。

楯の会の歌


南泉斬猫 なんせんざんみょう この敗戦の日の講和の解釈はさておく。

 このあと工場の士官がトラックいっぱいの物資を盗み闇屋になるという話が出てくる。悪に走るわけである。敗戦後はそれが生きるということだった。世の中に何の価値をも生み出さないことで報酬を得ている多くの人が今も存在する。それが生きるということなのだろうか? 私はしつこい営業マンを軽蔑しているのではない。そういうところから遠く離れた世界で安穏と生きている人たちのことを言っているのだ。ポンコツ経営者や配当金計算シートに意味のない関数を仕込む国税局の職員の事だ。それが生きるということなのか?

献茶  仏前に茶を点じて供える儀式。

雪は暢達な速度で降った。  暢達というのはのびのびとした、ということなので、やや開いた表現である。

青木 こういう言葉が案外「解らない」人が多いのでは?

仏倒し  仏像が倒れるように、直立したままの姿勢で倒れること。

叩頭   頭を地にすりつけておじぎをすること。 また、頭をさげてかしこまること。

第四章

渝らぬ かわらぬ 

漱石の「ケーベル先生」に使われていた。

 前章で外人向け娼婦の腹を踏んだことがばれて溝口はあれこれ考えることになる。有為子のことが時々思い出されるのに重ねられて、積みあがる負荷となっている。こういう仕掛けは上手いなあと思う。

 そして改めて酒鬼薔薇君が『金閣寺』をバイブルと指定した意味が曖昧になる。

 連続児童殺傷事件の前のストーカー事件、これがすべてのきっかけであるという私の見立ては、『絶歌』に有為子が現れないことから明らかであるように思われる。大きな嘘が小さな嘘を隠しているのだ。しかしそのほかの要素では『金閣寺』は結末以外『絶歌』とは重ならない。

 話はこれから柏木のところへ進んでいくが、今日はここまで。


【余談】作品の解釈について

 作品の解釈は読者の自由というわけではない。そこにはある程度の正しさというものがなくてはならない。たとえば「南泉斬猫」の講和には正解はないかもしれない。しかしどう解釈してもいいわけではない。「南泉斬猫」は酒鬼薔薇君の擁護ではない。

 解釈には論理的に「ここにこう書いてあるからこう」と示すことのできるものと、「ここにこう仄めかされているからこう」というものと、「なんとなくこう」というものがある。この「なんとなくこう」がはびこっているから糞みそにされて「ここにこう書いてあるからこう」と書いても「エヴァ論的解釈」などと言われることがあるから困ったものだ。「ここにこう書いてあるからこう」を否定するには、「しかしここにはこうかいてあるからこう」と具体的に示さなくてはならない。「エヴァ論的解釈」などというレッテル貼りそのものが「なんとなくこう」であり、「私にはこうとしか感じられなかった」という傲慢な態度にほかならない。英語でも漢文でもそうするのかね?

 例えば柄谷行人は『こころ』の「明治の精神」を「明治十年代が持っていた多様な可能性」のことだと解釈する。これは「なんとなくこう」式の駄目な解釈、間違った解釈の典型である。「明治の精神」は作中二度現れ、しっかりこう説明されている。

すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。(夏目漱石『こころ』)

 仮に柄谷行人の説を容れるとすれば、明治天皇は二十五歳で崩御しなければならない。「ここにこう書いてあるからこう」と示せばそういうことになる。「エヴァ論的解釈」などと空疎な言葉を振り回す前に、まずしっかりと文章を読むことを勧めたい。読むとは感じるばかりではなく、理屈を捉える事でもある。漱石がF+fと書いているからといって何でも「私の感じ」だけで論じていいわけではない。ロジックというものを理解することがある程度は必要だ。それと語彙も大切。

 




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