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三島由紀夫の『金閣寺』は天皇なのか?② そんなわけない

 ところで三島君、僕はね、日本の文学は、アメリカの南部の文学と、どこか非常に似ているような気がするのだけれども、どうかな。読めば読むほどそういう気がする。繊細すぎる感受性、それによる生きづらい魂、そういう要素が共通じゃないかな。

(「劇作家のみたニッポン」『決定版三島由紀夫全集第三十九巻』新潮社 2004年)

 テネシー・ウィリアムズの見立ては、『仮面の告白』や『金閣寺』といったややこしい作品の基本構造をものの見事に言い当てている。少なくとも金閣寺そのものに何か決定的な咎があったわけではない。『金閣寺』では主人公の内的問題、吃音と有為子へのねじれた思いが八つ当たり的に金閣寺にぶつけられたに過ぎない。つまり八つ当たりの対象が金閣寺である必要性はなく、交換可能なものではあったとまでは言えるかもしれない。

 しかしそれは「天皇」ではなかろう。テネシー・ウイリアムズとの対談は昭和三十四年、昭和三十六年八月あたりまで三島の眼中に「天皇」はなかった。

 総理大臣までチョロチョロしている世の中で、日本の凛然たるものを持っているのは伝統芸術だけということになるかもしれないね。

(「捨身飼虎」『決定版三島由紀夫全集第三十九巻』新潮社 2004年)

 編集者を交えた鼎談形式のこの千宗室との対談は、三島由紀夫の、日本の歴史は一貫性がないという俗説の批判から始まる。そこで皇室の和歌の伝統にでも触れるのかと思いきや、やはり天皇は出てこない。出てきてもおかしくないところで出てこない。

 それは何故か。

 どうも三島由紀夫は古典派を自認するくらい近代というものを軽んじていた。三島由紀夫は昭和十九年から二十年にかけて『中世』という小説を書いている。

 この小説では明治維新も吹っ飛ばされている。ある意味こんな不忠・不敬な小説もないものだ。室町幕府廿五代将軍足利義鳥なんてものが存在していたとしたら、明治政府の出番はない。

 三島由紀夫にとって現実の天皇の存在とは「あんな年寄り」であり、幻の南朝への忠義で腹を切るというストーリーは晩年に拵えられたものだったのだ。

 そうでなければ「総理大臣までチョロチョロしている世の中」という云われ方はないだろう。

 そして肝心なことを言えば『憂国』でさえ、二.二六事件や皇軍というものを意識しているとはいえ、直接的に天皇を描いてはいないということだ。おそらく三島由紀夫が直接的に天皇の存在を意識し始めるのは深沢七郎の『風流夢譚』以降のことである。

 当時の皇太子妃(現美智子上皇后)を仰向けにしてマサキリで断首するなど、おそらく三島由紀夫には考えもつかないストーリーであったはずだ。やられた、と三島は思っただろう。み吉野にはじまる天皇の御製が南朝のものであることも、英国製の皇室も、自衛隊と警察のドンパチもみな後に三島がパクる。


 それまで三島由紀夫が天皇に圧迫されていたというような事実はない。学習院時代も友人同士では天皇を「天ちゃん」と当たり前に呼び合っており、忠義も何もない。二十歳の遺書は建前である。

 


芸者か。

男性可なんだ。

うむ。


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