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三島由紀夫と『風流夢譚』


   これまで形式的な近接として取り上げられてきた『風流夢譚』を巡る深沢七郎と三島由紀夫の関係を、むしろ『風流夢譚』という作品と『英霊の聲』における昭和天皇および天皇制に対する屈折した意識の言説化という質のレベルで比較してみよう。

  これまで中央公論に同時掲載される計画のあった『憂国』と『風流夢譚』の形式的な比較、深沢七郎と三島由紀夫を対とする論評はいくらも見られたが、むしろ『風流夢譚』はその後の三島由紀夫に絡みつく様々な要素を孕んだ作品である。そういう意味では『英霊の聲』と『風流夢譚』を質的な対比はさらなる掘り下げが期待されるものである。

 深沢七郎は三島由紀夫を後に偽物呼ばわりし、「シャンデリアの下でステーキを食って、何でニホンがいいなんて言うの」と鋭く批判する。しかし三島の外見的な右傾化は筆禍事件のほとぼりが冷めた翌年の二月二十四日、仮装パーティーのために着た軍服に始まるものなのである。タイミングだけでいえば『風流夢譚』が三島由紀夫に軍服を着せたといって良いだろう。

 それだけではない。どういう了見か『風流夢譚』は三島由紀夫の「核心」を突くのだ。三島由紀夫が幻の南朝に忠義を捧げると書くのは後の事。しかし『風流夢譚』作中の天皇の御製は「み吉野」という南朝の雅語に始まる。英国製の天皇批判は三島の持論である。三島由紀夫といえば恩賜の銀時計が自慢である。皇太子妃の着物の柄は金閣ですか銀閣ですかと問われるが、その柄は天照大御神のお食事を司る豊受大神宮とさらし首の名所四条大橋である。これらの建物はどう見ても金閣寺・銀閣寺とは間違えようのないものである。そしてこの取り合わせは、天皇に熱い握り飯を差し上げると言って晒し首になった三島由紀夫の未来を予言しているかのようでさえある。

 皇太子妃が仰向けに寝かされる残酷さに、作家・三島由紀夫は確実に気が付いていただろう。そうした「しぐさ」に書き手は敏感なものだ。死の一週間前の対談で、三島由紀夫は恐らくその残酷さを思い出す。仰向けにギロチン台に寝かされたマリー・アントワーネットの話を脈絡なく唐突に吐き出すのだ。曰く「マリー・アントワーネットがお可哀そうなんて言って革命が成り立ちますか」。その直前に「二.二六事件では女子供を殺らなかったのが偉い」と語っておきながら、如何にも唐突にマリー・アントワーネットの話をする。

 私はこの唐突さの裏に『風流夢譚』があったのではないかと見ている。これは「仰向け」という残酷さ以外にはさしたる根拠を持たない私の推測である。歌物語が間違った俳句の剽窃に終わるという構成、つまり辞世の句で失敗するという落ちも、定家卿を書いてみたいと願っていた三島がへたくそな辞世の句を二つも残したという落ちに似る。『風流夢譚』と三島由紀夫の間には非論理的な結びつきがあり、そこはただ虚心に読むだけでは超えられないものだ。





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