見出し画像

本当の意味の「支援」って。

「人のためになる」がわたしの中で昔からキーワードで、よく考えてる。

わたしは、大学入ってから、支援という言葉がひっかかるようになった。

わたしの学部は、国際的な支援や人権などを学ぶことができる学部なのだけど、入学してすぐ、ボランティア系のサークルが使う、支援という言葉に疑問を持ってしまった。

(ボランティア系のサークルの人ごめんなさい。のちに、素晴らしい人がたくさんいるのも知りました)

そこから、本当の人のためって何だろうって考え始めて、いろんなところへ行った。
そんな話をしていきたい。

支援に対するイメージ

わたしは支援って言葉が嫌いだと気づいた。支援ってちゃんと意味を考えて使ってる人ももちろんいて、それ以外の人の話をするんだけど、とりあえず、平等を主張したがる割に、平等じゃないところが嫌い。

困った時はお互い様とか、助け合い、分かち合いだったら、フラットな感じがあるんだけど、

人権を主張して、命は全てに等しく価値がある!と言ってる割に、助ける側助けられる側に絶対的な上下が存在しているところ。あなたは弱者で、わたしは強者。だから、あなたを支援します。あなたとは違うんです。という態度。

え、本当に?平等なんじゃないの?
本当は平等って思ってないんだね?と思うのだ。

どこかでジャッジしてるんじゃないだろうか。
自分と助けられる人の立場が平等だって信じてないんだもん。

力も平等にある

そもそも全員平等に自分で立つ力と可能性があることをどこか忘れ去ってる言葉に感じる。自分には力があるけど、弱者に力はない?それは本当なのか?

手助けしないと、登ってこれないと思いこんでる。
手を差し出すまえに、この人に登れる力があるか否かを考えるのを忘れている。

例えば、発展途上国の人たちに、炊き出しでご飯を与えたとして、その日以外はどうしてるの?持続的にご飯を食べるには何が必要なの?とか。

逆にご飯をもらえることが当たり前になったら、自分でご飯を食べるために自立していく力はどうやってつくっていくの?とか。甘えて、支援にべったり頼ってしまったらどうするの?とか。

本当に支援を求めてるのか、必要なのかとか。

そもそも、人のためになるってその場限りじゃなくて、継続的な「自立」だと思うのだ。

考えることっていっぱいあるはずなのに。

途上国支援だけじゃない。障がいがあろうがマイノリティだろうが、ひとりひとり人間としての力には変わんないはずで。

その人なりの人生を楽しむ力とか未来を、無理だと思ってないか。1ミリでも無理と思って手を差し伸べた瞬間に、それは相手に通じる。
相手を諦めさせたり、不安定にさせることだってある。

助ける側の人間の思い込みが、助けられる側の人間を箱に閉じ込める。そんなんでいいの?

そんなところから、私の活動はスタートしました。

人のためは暴力になる

人のためというと、優しい言葉だけれど、暴力になるって知ってるだろうか。

人のためと怖さ、不安、心配を同じにしてる人がいる。それが、過干渉や甘やかし、先回りを引き起こす。

それは人の自立の足を奪うし、自分で考える頭を奪う。自分で気づいていき、考えていき、言葉にして、生きていくための練習を奪う。

先回りして自立を阻止すると、精神的に不安定になっていく。

そんな暴力をして、優越感に浸って、
一体それは誰のためなの?と言いたくなる。

きっと、人のためではなくあなたのためなんだねぇと思う。あなたが心配なだけ。あなたが不安なだけ。

人を慰めて、自分を慰めているんだ。

こんだけ、怒り狂った内容書いてるわたしでも、自分がいざ人のためになろうとしたら、嫌な人になっていることがたくさんある。
こんな風にしかできない自分にも腹が立った。

そもそも自分の不安・恐れ・怒りをどうにかしないと、人を助けられないんだ。

人のための前に自分のためになる

じゃあ、人のためをとっぱらおう!
まず、自分だ!と思った。

過去を完了することを目的に、向き合うことにした。

蓋をあけると心の中には、凄まじい依存心が潜んでいて、依存症も発症し、心の穴は大きかった。

ただ、毎日毎日鬱っぽくなりながら、自分の怒り悲しみ怒り悲しみを7ヶ月毎日感じ続けてきた。言葉に出したり、体の中で暴れまわるものを味わったり。

私は自分に向き合う。
本当に人のためになるために、向き合う。 

その人が果てしなくどんな可能性も持ってると信じるには、自分がどんな可能性も持ってると思わないとできない。

その人がどんなに苦しくても這い上がってこれるって言うには、自分が過去から這い上がらなければいけない。

過去に足を引っ張られなように癒して、現実を見て感じて行動して、未来の全てを信じる力がないといけない。これは、本当に毎日内省しながらの鍛錬だと思う。

そもそも、自分が自立してなければ、相手に自立を教えてあげることはできないだろうに、忘れてるんだから驚く。

自分自身を鍛えること、自分自身と向き合うことが、1番の人のためなんだって信念がある。

自分のあり方は、相手に強く強く強く影響する。

でも、どんな形であれ人のためは才能だ

でも、どんな形であっても、そもそも人のためになりたいって言えるのは、才能なのだと思う。

だって、普通はそんなに考えないから。

世の中は、暗くなんかないし、
社会は、クソなんかじゃないし、
クソにしてるのは自分自身だ。
クソな自分で世の中を見てるからクソなんだ。

まぁ、クソな部分もある。

でも、ぜったいぜったいハッピーな世の中になるって、社会も丸ごと信じていく。信じてく。

そのために自分の才能を使ってこうよ。

と思うのだ。

サポートありがとうございます。ただ、もしよかったら、そのお金で大切な人とコーヒーを飲みに行ったり、プレゼントしてもらえたら、私はとてもハッピーです。