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2年ぶりの記事投稿。いつでも何度でもやり直せる。

こんにちは、papaたぬきです。

タイトルにもあるように、noteは2年ぶりの記事投稿となります。

今回は誰かの役に立つ情報というものでなく、自分語り100%の独り言、エッセイ、人生の振り返りを記事にします。多少は心理のネタも含みますが、これらを踏まえて読み進めていただければと思います。

intro

サイトを開くのも約2年ぶり(そもそもnoteを普段閲覧していないという)で、エディタ編集のアップデートが大幅になされたようですが、過去のやり方を覚えていないので比較すらできないという、情けない状態です。

記事を載せなかった意識的な理由はなく、単にめんどうに感じてしまったのが正直なところでした。Twitterもちょこちょこと続けておりますが、私のエネルギーをちょうどよく投資でき、時間や手間をそこまでとられずに済むのが140文字という制約だったのだと思います。

2年前は何をしていたかを思い返すと、仕事に関する知識を蓄えようとエネルギッシュで、YouTubeも財テクや自己啓発などの意識高いものばかりを観ていて、子どももいたもので将来設計をどうしていくかをいろいろと考え悩んでいたような気がします。焦る気持ちもありましたが、それなりに楽しみながら、仕事も順調に行っていました。

当時から今までの2年間、本当にいろいろなことがありました。ストレスを感じる出来事も多少ありましたが、基本的に穏やかに、しあわせな毎日を過ごしていました。今も変わらずしあわせですし、2年前と比べて明らかにアップデートされた部分も多くあります。

勉強して学んだことを意識的に実践したこと、あとから考えると理論的に言い示されていることを偶然実践していたこと、理論もなにもなくただ直感でやみくもに行動していたのが良い結果に結びついたこと、などいろいろあります。

もし私が大衆に向けて「人生をしあわせにする方法」というタイトルで講演をしてほしいと言われたら何を伝えるか。誰に言われたでもなく、誰のニーズもないことは自覚していますが、自分勝手に書いてみようと思います。これがnoteならではで出来ることですね。

幸福になりたいなら、幸福になろうとしてはいけない。

過去の記事にもある、私がとても大切にしている考えです。
ラス・ハリス著『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』という書籍を読んだときは、非常に感銘を受けました。2年前に好きだった本がいまだに好きと思えて教訓にできているのは自分でも驚きです。
これはACTについて書かれた本ですが、初心者にとって非常にわかりやすく、そして人間ならではの不安による回避行動がもたらす現状維持についてや、人生の価値に向ける具体的な行動をどうやって踏み出すかについてよく書かれていました。

私もこの2年間、いろいろな重要な判断を下す必要がある場面に出くわしてきました。そのたびに「ああなったらどうしよう」「間違えるのでないか」「あとで後悔するのでないか」「人から何か悪く言われないか」など頭の中で警報アラームが鳴り響き、行動せずに現状維持を続けた方がリスクが少ない、またはデメリットがあったとしても不明確な未来に待ち受けるさらに大きなデメリットを受けずに済む、といった回避的な思考につい傾いていました。ただ、実際に現時点で言えるのは、

不安になりながらも、行動し続けていてよかった

不安を払拭するための無理な行動ではなく、
楽しめる範囲で淡々と続けられる行動ができてよかった

ということです。
当時不安でいっぱいになったときは、
1.自分が今不安でいっぱいであることを認識し、
2.不安を煽る言葉かけを自らに課していることを把握し、
3.「不安は単なる不安である」「不安は確実に当たる予言ではない」と考え、
4.それでも本当に自分にとって役に立つ判断や行動は何か、を考え実行する
ということを繰り返してきました。
なかには不安を解消できる具体的で便利な方法がある場合があったので、調べてすぐに実行し対処していましたが、解決の難しい、結果がどうなるかわかりにくいものに対しては勇気をもってできるところから手をつけていた覚えがあります。

また、敢えてですが、目的に対し打算的に行動を設定することを放棄していました。
たとえば「お金を稼ぐためにできることは何か」「人とつながるためにできることは何か」「もっといい暮らしができるためにできることは何か」などといった欲望を前面に出す思考も人間だれしも備えている自然なものだと思いますが、この2年間はそう思ったとしても行動レベルに落とし込むことはせず、自分にとって無理のない範囲で楽しめる行動を積み重ねてきました。

なぜ目的的にならずにいたかといえば、自分の欲求を満たすであろう抽象的な目標のほとんどはたとえ叶えたとしても切りがなく、また新しい不安や煩悩や執着が生み出されることを知っていたからです。ここに「幸福になりたいなら、幸福になろうとしてはいけない」という提言の核があるように思います。これも理論的な説明はできませんが、私の感覚としても、狙いすぎるとうまくいかず、あきらめたり狙わずにいるとなぜかうまくことが運ぶという経験が実際に何度もありました。臨床でも「手ごたえがあって次も絶対に来てもらえるだろう」と考えるとキャンセルになったり、「絶対次にはつながらないだろう、今日の約束にも来ないだろう」と考えるとふと来室してくださったり、といったことが多くありました。

いつでも何度でもやり直せる

今回noteを再開したのは、ずっと更新せず放置していたのが私の頭の中で引っ掛かっており、いつかしなければと思いつつも実行できていなかったことに先ほど気づいたのがきっかけでした。
これまで何度も不安が私に以下のように囁いていました。
「もう何年も更新していないし、どんな顔して再開したらよいか。恥ずかしい。」
「やるならちゃんとやらなきゃ、意味ない」
「誰の役にも立たない。時間がもったいない」
「再開したなら続けないとダメ。続かないならやらない方がいい」
「質のいい記事なんて書けない。書こうとすれば疲れるし。」
正直言えば、記事を書いている今でも遠慮なく不安は私にこのように知らせてくれます。
ただ、自分自身のできることといえば、先送りにすることなく、一旦中断したものでも臆することなく再開し、たとえまた続かなかったとしてもいつでも何度でもやり直せるということを体験したいという動機づけのもと行動することでした。

outro

熱しやすく冷めやすい性質なのは百も承知ですし、三日坊主なのも受け入れています。
ただそれでも、不安や現状維持をしたがる考えに煽られ何もしないのを続けるのでなく、行動はいつでもし続けられること、新しいことに挑戦する意欲と変化を求める気持ちに正直であり続けること、行動し続けるうちに何か自分にとってのしあわせがきっと舞い込んでくるだろうと信じていることによって支えられています。
嫌になったらやめればいいし、やりたければやれるだけやればいいのです。がんばりません。Just do it.の精神でこれからもやっていきたいと思います。

最後までお読みくださりありがとうございました。
それでは、また。


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