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2023年映画感想No.24:ちひろさん※ネタバレあり

利他的で孤独な優しい主人公

新宿武蔵野館にて鑑賞。
僕は身近な存在でこの映画のちひろさんのように自分の中にある良心を他者に対して差し出すことを全く躊躇わない人物に心当たりがあって、ずっとその人のことを考えながら観てしまった。その人は一緒にいる人の疎外感や孤独を敏感に感じ取りそれとなく手を差し伸べる優しさがある。相手の悩みや痛みを尊重し、受け止めた上でどうするのかを委ねさせる柔らかさがある。そしてそういう優しさを自分の幸せのために使えない不器用さがある。
僕はその人のそういうところに救われたので自分もできるだけそういう人間でありたいなと思うようになった。狭量な僕には中々難しいのだけど「あの人ならどうするだろう」と思うと少しずつ自分の中の正しさに素直に従うことができるようになってきた。

「わかり合えなさ」を許容すること

ちひろさんは劇中の言葉でいうと基本的に「来るもの拒まず、去るもの追わず」という人間であり、だから目の前の人が抱える事情を追及しないし否定もしない。目の前の相手が自分と関わりを持つことを尊重するからこそ、彼女の存在が誰かにとっての居場所になっていくのだと思う。
一方で劇中「独り」という時間の描かれるのはほとんどがちひろさんでありそんな彼女を観客だけが見つめ続ける。「わかり合えなさ」を許容することでそれに苦しむ人々の苦悩を軽くするちひろさんの優しさと裏返しのところにある孤独や寂しさが浮かび上がってくるように感じられる。
誰かの「ライ麦畑のキャッチャー」であることでかつての自分を救っているようであり、それが分かり合えない他者同士が生きるという絶望的な世界の中で「どこかに同じ星の人がいるかもしれない」というちひろさんの信じたい切実な希望なのだと思う。

「第三者」という居場所

家庭や学校に居場所のない女子高生や自己形成の大切な時期に承認の不安を抱える男の子、娘との関係に後悔を抱える女性、大切な人からの裏切りに遭い夢破れてちひろを訪ねてくる風俗嬢の同僚など、身近な関係に欠落を抱える人々がちひろさんという「第三者」を通じて閉塞感を相対化し、より広い世界の可能性に目を向けられるようになっていくのが良かった。問題となる関係そのものを解決するのではなく、家族や恋愛など自明とされるものを問い直すことでその呪縛から解放されていくことに長い人生を生きていく上での根本的な解決となる気づきがあるように感じられる。
友人にも家族にも理解されない孤独を抱えていた豊嶋花演じる女子高生のオカジはありのままに生きるちひろさんの価値観に触れることで孤独によって誰かと繋がり自己肯定を取り戻していく。嶋田鉄太演じるネグレクト気味な家庭環境で育つ小学生のマコトは母親以外の大人たちの存在によって自分を受け入れてくれる世界を内面化していく。佐久間由衣演じるその母親もちひろさんとの会話によって良き母親という重圧や責任から解放されありのままの息子と向き合えるようになる。風吹ジュン演じる目の見えなくなった弁当屋の女将さんとは互いの欠落に寄り添い合う擬似家族的な関係になっていく。
他にも若葉竜也演じる父親を半殺しにして逃げ出してきた土方の男や長澤樹演じる廃墟の秘密基地で漫画を読んでいる不登校の女子高生ベッチン、van演じるかつての水商売の同僚でトランス女性のバジルなどちひろさんとの関わりを通じて誰かと繋がることを救いとして捉え直せるような瞬間が訪れる。

「孤独になれないこと」を柔らかく肯定する余韻

かつて孤独な幼少期に出会った「ちひろさん」と名乗る女性のようにある種象徴的な存在としての役割を引き受けている本作の主人公ちひろさんは、生きる上で居場所があることの重要性を自覚しているからこそ失うことを誰よりも恐れているように映る。劇中ベッチンがオカジに言う「別れるのは寂しいけど出会って良かった」という言葉はまさにちひろさんが遠ざけようとしている感情そのものだと思うのだけど、そうやっていくら距離を取ろうとしても繋がりによって定義される自分がどこかには必ずいるんだということが柔らかく肯定されるようなラストのセリフがとても良かった。
孤独になりたいくせに誰にも孤独になってほしくないちひろさんは結局それによって孤独にはなれないのだけど、それは良いことなんじゃない?という余韻がとても温かかった。

寛容な物語を描くことの優しさ

もちろん会話劇としての素晴らしさ、一つ一つの演出の面白さは言うまでもない。有村架純はじめ役者の輝かせ方は本当に素晴らしいし、今泉監督らしいオフビートなユーモアと繊細な眼差しの交感がじわりと染み出す味わいの奥行きになっている。
何より孤独に対しての寛容さがとても優しい。こういう「わかり合えなさ」を肯定する物語があることで生きることが少しだけ楽になるように思える。

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