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2023年映画感想No.18:エンパイア・オブ・ライト(原題『Empire of Light』)※ネタバレあり

映画という光

TOHOシネマズ川崎にて鑑賞。
映画の冒頭、少しずつ明かりが灯っていく映画館を見つめるカットの眼差しからは映画館という場所が世界のささやかな希望であってほしいという願いのようなものが感じられる。それぞれに社会からの抑圧を抱える本作の主人公ヒラリーとスティーヴンにとっては現実こそが暗闇そのものであり、そういう日々の不条理に傷つく人々にとって芸術という多様性を体現する映画館こそ味方なのだと描き切ってみせる姿勢が本当に感動的だった。
映画とは本質的に個人的な体験である、ということを肯定するように一人映画に向かうヒラリーを映すクライマックスは、映画を観ることに過剰な解決を託さない分より個人的で切実な救いが描かれているように思う。映画を観るとき人は独りになる。だからこそ映画は孤独の味方なのだと思う。映写技師のノーマンは「1秒間に24枚の写真を映すと間にある暗闇は見えなくなる」と言うのだけど、まさに映画の希望、光を象徴する言葉として響く。
映画館の暗闇を照らす光の先に孤独な自分を見つけて救われた経験があるから僕は今日も映画を観ている。人生に映画があることの意味を物語という映画的説得力で改めて示してくれたことに本当に心を救われる気持ちだった。

美しい映画館を取り巻く醜悪な暴力

それぞれに切実だからこそ中々分かり合えない二人の関係性の描き方もとても丁寧な作品だった。どちらもありのままでいることを否定され尊厳を傷つけられた存在であり、そのアイデンティティを肯定し直す場所として映画館がきっかけになっている。
新年の花火の光の中で接近する二人のロマンティックな美しさや、危機に瀕した多様性を象徴するように廃墟と化した劇場の中でささやかに育まれる関係など、映画ならではの空間的な広がりが人間関係の展開にダイナミズムを生み出している。目が離せないほど美しく、絵作りによってハッとするような緊張が生まれる瞬間がある。
彼らを傷つける暴力はすでに映画館の中にまで及んでおり、だからこそ映画館すら彼らのシェルターとしての機能を果たせない展開が苦しい。性暴力も人種差別も映画館の在り方とは対極にある醜悪な暴力であり、映画館を守る従業員である彼らが映画館にいることによってそれらに晒されてしまうことにやるせなさを感じてしまう。

尊厳を傷つけられ自分を隠して生きるヒラリー

過去に性暴力によって精神のバランスを崩し休職したヒラリーは再び同じ搾取の中に引き戻され声を殺して生活している。「問題を無かったことにする」ことは彼女の切実な自己防衛であり、自分自身を曝け出すことを恐がる様子には恋愛的不安以上の複雑な事情が感じられる。
エンパイア劇場で『炎のランナー』のプレミア上映が行われる場面で彼女はある意味最も発信力のある場を利用して最も強力なメッセージを発するのだけど、彼女が真実を身も蓋もなく表現することを搾取の張本人である支配人ドナルドは「頭がおかしくなった」と否定するのがとても暴力的に映る。彼女は本当に統合失調症を患っているのかもしれないけれど、真実を話す彼女を「頭がおかしい人間」にしているのはそれを不都合とする人々だと思う。
問題を無かったことにしなかった彼女の行動は映画館内の腐敗を改善するきっかけになる一方で、彼女はそれによって再び深刻に追い詰められてしまうのだけど、正しさから行動を起こしたヒラリーにスティーヴンが手を差し伸べることでもう一度やり直すきっかけが生まれる場面がとても優しい。一度見て見ぬ振りをしたスティーヴンが戻って彼女に声をかけるのは彼女の起こした行動が響いているように感じられる。

差別に対して毅然と対峙する次世代としてのスティーヴン

スティーヴンは保守党政権の政策によって人種差別が苛烈化する80年代イギリス社会における人種的マイノリティとして常に暴力の不安に晒されている。
差別に対して毅然とした態度を取り続けるスティーヴンの姿勢こそヒラリーをエンパワメントするのだけど、そんな彼がヒラリーを尊敬するきっかけには彼の不誠実な接客態度をヒラリーがきちんと指摘したことがあり、ささやかながら相互に影響し合う関係性が丁寧に描き込まれている。
寄せては返すような彼らの関係を象徴するように映画も振り子のようにそれぞれの事情にフォーカスする。それぞれが映画館にいられなくなる出来事が並列ではなく縦列的な構成で語られるのは語り口にやや鈍重な印象を生み出してもいるけれど、二人の救い救われる関係がそこにも表れているようで構成的な必然も感じた。

二人の関係性に宿る豊かな可能性の広がり

二人の関係が恋愛的に収束しないのも良かった。恋愛はあくまで大切な存在と深く関わる過程であり、互いの存在を通じて新しい自分へと成長し、これからの人生を歩み出していくことが物語のハッピーエンドになっている。だからこそ恋愛的関係を通り過ぎた後もお互いへの親愛の情やお互いから受けた大切な影響、尊敬が残り続ける。
ある意味ではカミングオブエイジのアイデンティティ形成とミドルエイジクライシスからのアイデンティティの再生の物語と受け取ることもできる内容であり、誰かのメンターになることで実存の不安から解放されるヒラリーとメンターを見つけることで自分の人生を獲得していくスティーヴンの物語になっている事がラストをより開けたものにしているように思う。
人は弱い。だから時に葛藤し、何もできない時もある。でも良心によってそれを乗り越え、互いを助け合うことで強くなることができる。その尊さを浮かび上がらせる最小単位の関係性には世代や性別を超えたとても豊かで多様な可能性があるからこそこの映画は美しいと思う。
いつ、どこで、どんな人が自分の大切な人になるかわからないからこそ人生は美しい。そして映画は自分の人生の外側にそういう可能性が広がっていることを教えてくれる。映画館のスクリーンの向こう側にだけ観ることができる世界がある。だから僕たちは今日も映画館で映画を観て、人生の有限性に抵抗しているのだと思う。

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