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2023年映画感想No.83:タタミ(原題『Tatami』) ※ネタバレあり

登場人物たちを取り巻く抑圧を浮かび上がらせる撮影的な演出

TOHOシネマズ日比谷シャンテにて鑑賞。東京国際映画祭2023コンペティション部門。

イランのアスリートを取り巻く不自由で抑圧的な状況を描く物語で、スタンダードサイズの画角やモノクロの色調といった映画の形式を利用した演出も内容を際立てている。
ファーストカットから印象的なフレーム内フレームがあり、すでに登場人物たちが狭い世界に囚われていることが画面的にも暗示されている。バスで運ばれるイラン代表の女子柔道チームは全員同じ穴のムジナであり、同じ箱に押し込まれ同じ場所に運ばれるしかないということが映画を観終わるとより象徴的に感じられる。シンメトリカルな画面構成の中心にいるコーチを捉えた後、左側に座る主人公レイラにカメラが振られるという位置関係の演出も後々のドラマ内で彼女たちの立ち位置として繰り返される要素になっている。
スタンダードサイズというただでさえ圧迫感のある画角に加えて劇中の様々な場面で画面の中にも人物を囲う枠があるような構図が多用されていて、競技の外側にある事情が明らかになる前から彼女たちの置かれている状況によるべなさや息苦しさが示唆されている。モノクロの画面も彼女たちの白か、黒かしかない世界を映像的にも表現している。また、白黒になることで強く表れるコントラストの効いた黒が彼女たちを取り囲む抑圧をより際立てている。そういう閉塞的な絵作りを徹底しているからこそ、終盤に主人公の目の前が真っ暗になるという象徴的な演出の絶望感が演出の段取りからも効果的に高まっていると思う。

推進力を生み出す設定とスポーツ映画としての見応え

まず脚本の構成として柔道世界選手権のトーナメントが行われる一日の物語という点が非常に強い推進力を生んでいると思う。柔道の試合の撮り方にちゃんと迫力がある上に、各試合の決着のロジックが勝ち上がっている状況に合わせて変化していく。柔道それ自体の描写にストレートなスポーツ映画としての見応えがあって、序盤はアクションとしての競技シーンが映画自体の掴みにもなっていると思う。
主人公のレイラに勝ち上がってはいけない理由が生まれる後半では試合が進んでいくこと自体に緊張感が生まれている。観客は主人公に対して頑張れと思う一方で彼女が勝ってしまった先に待っている出来事に対して切実に不安になる。やるかやらないかがめちゃめちゃ大きな決断なのだけど、それに対して全然ゆっくり考える余裕がないという映画の緊張感を生み出すテンポがワンデートーナメントという設定によって生まれている。

中盤の不条理を際立たせる人物描写のフリ

序盤に主人公レイラがアスリートとしていかに今回の世界選手権に意気込んでいるかを見せてあることで中盤に「棄権しろ」と国から圧力をかけられる展開の心苦しさが強まっている。
ギリギリの減量を頑張り、ついに才能を開花させつつある今大会が彼女にとって一生に一度あるか無いかのチャンスだということが切実に伝わってくる。試合の内容的にも厳しいコーチの下で積んできた努力がこの大舞台でついに実を結びつつあるという描き方になっていて、だからこそ競技以外の理由でチャンスを諦めさせられることの理不尽がアスリートであるレイラにとってどれだけ受け入れ難いかも痛いほど伝わる。

勇み足なイラン政府

勝ち上がるチャンスがあるレイラに対してイスラエルの選手と試合させるわけにはいかないから棄権しろと通達されるのだけど、二人が試合で当たるのが思ったよりもトーナメントの終盤っぽくてすごい手前の段階で棄権させようとしてるのが不思議だった。
両方とも順当に勝ち上がるかわからないし、仮にイスラエルの選手が敗退すればレイラにはメダルのチャンスが残るのだから「試合が決まったら棄権」くらいでいいじゃんと思う。まだ当たるのかどうかわからない段階から祖国の親族を工作員が人質に取ったりしていて念入りなのか雑なのか。

複雑な本音を抱えるコーチの描き方

コーチは過去に同じような国家からの圧力でキャリアを諦めたことがある人物であり、だからこそ選手であるレイラの気持ちと諦めざるを得ない状況の切実さの間で板挟みになる。メダルを取るために叱咤激励してきた当事者のコーチがメダルを諦めろと伝えること自体がめちゃめちゃ皮肉で残酷だし、過去に自分が従ったからこそレイラにも「そうするしかない」ということを受け入れさせようとしているようでもある。
コーチが初めてレイラへの説得を試みる場面で、提案を拒絶してランニングするレイラに声をかけ続けるコーチを映すカメラワークがコーチの揺らぐ心理状態を表しているように感じた。また彼女が背負う「イラン」の文字が彼女の逃げられない抑圧そのもののような印象を強めていく。
対立する価値観を象徴するように衝突するレイラとコーチは画面の左右で向かい合う構図で切り取られる場面が多い。国からの圧力を拒絶するレイラが鏡に映る自分に頭突きをするのも、イスラム的価値観に迎合してしまいそうな自分を否定しているようでもある。
また、コーチとレイラとの違いとして板挟みで難しい状況に置かれたコーチには味方になる人がいない。彼女が忠誠を尽くそうとしている体制側の人たちからはレイラを棄権させられないことで人格を否定され、年老いた両親からも非国民扱いされる。彼女が守ろうとしているものは彼女を守ってくれない。対照的にレイラの家族はリスクを承知で名誉のために戦うレイラを後押ししている。
国のために尽くしてきても結局何も残らなかったことを改めて痛感するようなやりとりが積み重なるからこそ、何のために戦うことが自身の尊厳を守るのかについてレイラの生き様を通じて見つめ直していく。

フィクションのカタルシスで政治の問題をうやむやにしないという作り手の姿勢

イスラム圏の女性アスリートの息が詰まるような状況をヒジャブで表現する終盤の試合シーンも印象的だった。視界が見えなくなり息ができなくなるという描写がまさにレイラの追い詰められた状況を象徴しているし、そういう価値観からエキソダスしていくようにヒジャブを脱いで戦う展開がスポーツ映画としてもストレートに熱い。一方で勝利によって政治の問題を解決するようなある種フィクショナルなカタルシスを描く決着には向かわず、何も得られずに存在を否定されて追い詰められていく個人だけが残るというネガティブな状況こそを正面から批判するようなラストにより明確で鋭いメッセージを感じた。

冒頭と対になる場面構成によって立場の変化を描くラスト

彼女たちを解放する役割の人々はみな女性であり、意識的にフェミニズム的メッセージを打ち出す配役になっている。ラストに彼女たちが乗り物に揺られる場面が冒頭と対になる映し方になっていて、二人の着ている服や座る立ち位置だけで彼女たちの置かれた立場の変化を示すのが映画的で良かった。
終盤が明確なイスラム的価値観の批判になる一方で、国際大会にイラン代表が出場し続けていることを示すラストカットはまだ彼の国に同じ問題が残っていることを皮肉に映し出しているように感じた。だからこそ映画はその先を現実に投げかけていると思う。

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