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2023年映画感想No.84:ロングショット(原題『老槍 A Long Shot』) ※ネタバレあり

丸の内TOEIにて鑑賞。東京国際映画祭2023コンペティション部門。

銃を撃てなくなった男の話

射撃の代表選手候補である若き主人公に難聴が発覚するファーストシーンから彼の失われたアイデンティティについての物語が始まるのだけど、明るかった室内から場面が変わると年老いた主人公が暗い部屋の片隅で黙々と自作の銃を改造したり射撃の構えをとったりしていて、喪失を乗り越えられていない痛々しさや行き場のない内省の苦しさがすでにしてしっかりと示されている。
人物や部屋の美術から漂う全てがさびれてしまったかのような様子も時間だけが過ぎていったことの重さを視覚的に表していてグッと引き込まれる。

全員が等しく貧しい時代

舞台となる1980年台の中国は不況の真っ只中で、主人公が勤める鉄工所も給料未払いと窃盗被害が続いている。本編は警備室に勤務する主人公が窃盗の現場を現行犯で押さえる場面から始まるのだけど、犯人たちは元同僚であり警備室の仲間も正しい手続きより金を受け取って逃すことで自分たちの利益を得ている。捕まえる側も捕まる側も等しく貧しいということが暗闇の中で敵も味方も判別できない格闘シーンの映し方からも暗示されているように思う。
半分廃墟のような鉄工所のロケーションが雰囲気あってとても良いのだけど、施設の大きさに対して警備する人の数が全く足りていなくて不況に対して完全にジリ貧な状態なのが一発でわかる。
本編に入るところで警備を目的とした銃の所持が認められ始めた時代ということがテロップで示されるのだけど、それ自体が社会全体で男らしさが欠落していることの皮肉のようでもある。全員同じ穴のムジナなのだけど、その中で正しさに従う主人公の生き方は割に合わないし、同僚たちから白い目で見られている。

人と人との繋がりが皮肉に際立てる良心の無力さ

冒頭から描かれる隣人の女性とのロマンス未満の不器用な距離感は牧歌的な雰囲気があって心温まるのだけど、良い隣人以上の関係に踏み込めない彼の誠実さは男性不能性と裏表でもあることが次第に浮かび上がってくる。
彼女のところに戻ってきた一人息子が実は悪友とつるんでいることを知った主人公がメンター的な役割を引き受けることになる展開も、社会全体の貧しさに対して良心がなんの役にも立たないことと同様に、普通なら擬似家族的な発展しそうなところ関係性に対して主人公の「正しさ」にこの家族の状況を好転させる力がない。好きだった女性はセックスアピールで金を稼がなければいけなくなるし、息子も悪友たちとの犯罪をやめられない。3人とももっと良い生き方があることをわかっていながら身動きが取れなくなっている様子が心苦しいし、そうやって良心を守る主人公が試されるような展開に中々終わりが見えない。

報われない正しさ

鉄工所警備室の同僚とのエピソードも主人公の良心の無力さを知らせる場面として効果的に差し込まれる。
主人公は体制側の秩序を守ることで自尊心を保とうとしているのだけど、彼が守っている社会から彼らは裏切られ続ける。正しさすら搾取され、そうやって限界を迎えた個人たちが社会という枠組みからこぼれ落ちたところで自分を守るために犯罪に手を染める。そうならないように生きようとしている主人公たちに対して不況は容赦なく彼らを追い詰めるし、組織はなんの助けにもならない。
特に冒頭に捕まえたかつての同僚と再会する場面が本当に「正しさがなんの役に立つんだ」という皮肉を強める意味でとても効果的な場面になっている。ここにいても希望がないと社会から脱落したはずの同僚が外の世界で成功していて、地道に正しく生きていればいつかは報われると信じている主人公には返す言葉がない。

いつ銃が発射されるのか

『ロングショット』というタイトルや銃の所持が認められた社会背景がありながら劇中で銃が撃たれるシチュエーションが中々訪れないのだけど、チェーホフの銃ではないけれど後半はいつどこで劇中で銃が発射されるのかが膨らみ続ける緊張と鬱屈を解決する焦点として常に響いている。
主人公はPTSD的に引き金が引けなくなっている一方で、銃が撃てれば人生は違ったはずだという後悔をいまだに引きずっている人物でもあり、ある意味で自分を証明する機会を探し続けていて、ずっとその時に向けた準備をしている。
良心を試され続ける主人公が自分の存在意義を証明できずに傷つき続けるところにはずっと「銃が撃てないことの後悔」がある。銃が撃てないことを否定するかのように、正しさという「奪わない生き方」を信じることで自らの秩序を保とうとしてきた主人公が、個人を切り捨てる組織のあり方を知って信じてきた正義を問い直される。捕まった隣人の息子から組織のために勤めてきた人間が救われなかった話を聞いた彼は何を信じていいのかわからなくなってしまう。その結果として社会の腐敗に抵抗してきた少年を暴力的な価値観に屈服させるという役割を想い人に担わせてしまうことすらも彼が背負っている無力さと悔恨を深める描写になっている。

継承される正しさ

そうやって自分以外から奪うしか選択肢が残されていない小さな個人たちが暴力に縋るしかないラストがあるのだけど、そこでついに訪れたラストチャンスとして彼の正しさを証明する狙撃シーンがグッとくる。
引き金を引かせなかったことで隣人の息子のイノセンスを守った一方で、一線を越えてしまった同僚は戻れなくなり自分を撃つ。皮肉なコントラストでありながら、その死に様をちゃんと目に焼き付けようとする息子の姿も含めて、「こうならないように生きなければ」と主人公の信じてきた正しさが継承されたかのような演出に胸が熱くなる。
エンドロールの前にあったかもしれない可能性として時代に翻弄された小さな個人たちが肩を並べて歩く姿を映す優しさにもグッときた。時代や場所が違えばきっと彼らには違った幸せがあったのだろうという切なさを映画ならではのやり方で救ってみせる、その眼差しがあればこそこの善悪が複雑な物語を描き切れるのだと感じた。


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