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Gust Van Den Berghe『Lucifer』丸いフレームから覗き見るルシファーがもたらした混沌

傑作。真ん丸のフレーム。最初に映し出されるのは空を仰ぎ見る魚眼の映像だが、中心に集まった白い雲と外周に追いやられた黒い大地をジッと眺めていると、それは南極大陸のようでもあり、つまり地球を南から覗いているようであり、やがて白んだ真ん丸の画面に現れたのは堕天して地上に降り立ったルシファーだった。覗き穴のような真ん丸のフレームは、地獄へ行く経由地として地上に降り立った元部下を眺める視点を持ち、魚眼映像は全てを見渡す=全知全能としてそれに応えている。しかし、覗き穴は覗き穴として狭い領域しか映せないし、我々は全知全能ではないので、魚眼の正距方位図法みたいな映像では何が映っているか理解しにくい。本作品はそんな映像表現の理想と現実の間を上手く突いた表現で溢れている。いきなり衝撃的だったのは、神父の祈りに応えたルシファーが円の外(つまり画面外)に手を伸ばし、遠隔で教会の鐘を鳴らすというシーンにて、フレーム外=神の目の届かない部分で事物を操作するという、覗き穴フレームの役割と制約を利用したショットが爆誕していたことだ。他にも、家の中を魚眼レンズで撮ることで、地面を円フレームの内周に貼り付け、人間がその中をハムスターのように回るようにしてみたり、普通の映像を当然のように回転させたり、太陽→フレア→フレームが全て真円になっていたり、丸い画面を活かした映像をこれでもかと持ち込んでくる。フレーム外が意識されるのは上記の場面以外あまりないが、役者に近寄れば切り取れる範囲も狭くなるので、役者とカメラの距離がそのまま役者同士の距離となるのも興味深い。

そんなルシファーは、地上に落とされ、メキシコの"楽園"の村を訪れる。そこには敬虔なクリスチャンの老女ルピタ、その弟で半身不随を装うエマニュエル、そして楽しみがないことに退屈しているルピタの孫娘マリアが住んでいた。ルシファーはエマニュエルを脅して再び歩かせることで、ここぞとばかりに奇跡をもたらす治癒師を演出し、村のコミュニティに溶け込んでいく。村は奇跡に湧き立つが、ルシファーの目的は人々に奇跡をもたらすことではなく、逆に不幸をもたらすことでもない。善と悪のコントラストを強めることで、本来なら曖昧だった境界を浮かび上がらせることなのだ。盛大なパーティの翌朝に失踪したルシファーを巡る第二部以降では、時間は大胆に省略され、空間も現実と精神世界が融合していき、全知全能の覗き穴がその意味の中で拡張されていく。

これが80分なら大傑作だったと思うが、ルシファー失踪後に少々中弛みがあるのがちと残念。

・作品データ

原題:Lucifer
上映時間:108分
監督:Gust Van Den Berghe
製作:2014年(メキシコ, ベルギー)

・評価:80点

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