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Elka Nikolova『Binka: To Tell a Story About Silence』ブルガリアにビンカ・ジェリャズコヴァありき

タルコフスキー?ベルイマン?ブルガリアにはビンカがいる。

ブルガリアで初めて長編映画を撮った伝説的女性監督ビンカ・ジェリャズコヴァ(Binka Zhelyazkova)についての短いドキュメンタリー。残念ながら製作当時存命だったビンカ本人も、その夫で製作上のパートナーだったフリスト・ガネフ(Hristo Ganev)も登場しないが、二人の映画やブルガリア映画史に関わった最重要人物たちによる回顧なので、ビンカの忘れ去られた映画人生を巡るという点では満点のインタビュイーを揃えている。冒頭の目頭が熱くなるような発言は、ジェリャズコヴァ作品を含めた数多くのブルガリア映画に出演した大女優ツヴェタナ・マネヴァ(Tzvetana Maneva)のものであり、説得力が段違い。

本作品は彼女の映画監督としての人生を、当時のブルガリアの情勢などを交えながら紹介していく作品である。1923年に生まれた彼女は、第二次世界大戦を経験した結果、戦後に共産主義政権の権威確立に積極的に参加していた。しかし、ジェリャズコヴァもガネフも理想主義者であったために、理想と乖離した現実から目を背けることが出来なかった。その徹底した妥協しない姿勢は映画にも波及していく。デビュー作『Life Quietly Moves On...』(1957)は戦後の共産主義時代に生きるパルチザンの生き残りを描いており、全体主義への反抗を示した最初期の作品だった。当時はポーランドやチェコでもそこまで踏み込んだ作品は作られていなかった。その内容のために、ブルガリア共産党中央委員会は公報で映画を貶し、33年間上映禁止となった。ここから、当局とジェリャズコヴァの長い戦いが始まることになる。

1958年にブルガリア国立映画センターが開設され、ジェリャズコヴァは再び映画を作る。第二作『We Were Young』(1961)はヌーヴェルヴァーグと同時発生的に同様の手段を用いた作品で、ブルガリアの伝統的な映画業界に革命をもたらした。それと同時に、彼女の異常なまでの拘りが顕になった作品ともいえ、スタジオ出身のクルーからは陰口が絶えなかった。大雨の海岸で撮影監督と口論し、土砂降りの中崖を登って"ここから撮るんだ!"とブチギレた話など、多くの妥協しないエピソードが並べられ、自らの理想と現実の乖離について声を発し続けた女性の生き様を垣間見たような気がした。本作品も前作と同様に公開禁止となった他、5年間の映画製作禁止令も出されてしまう。

1965年になって、新作を撮る許可が出た彼女は代表作である三作目『The Tied Up Balloon』(1967)を製作する。当局はジェリャズコヴァが製作を諦めるように悪評を流すなどの妨害工作を行ったが、映画は完成し西欧を含めた海外の映画祭で好評を得た。いくつかの配給会社と契約を結んだ段階で、当局が上映禁止令と輸出禁止令を出したために、海外での公開は立ち消えとなり、国立映画センターを解雇された。また、本作品に本筋と全く関係のない聾唖の少女が登場するが、彼女は自由の信奉者である気球と会話することが出来たり、猟犬に追い立てられて穴に落とされたりしているので、ジェリャズコヴァ本人が現状そして自身の未来の状況を予想した描写ではないかとしている。

1968年のプラハの春以降、冷遇されていた監督たちにも映画製作の許可が降りるようになり、ジェリャズコヴァも四作目『The Last Word』(1973)を撮る許可を得た。完成した作品はカンヌ映画祭コンペ部門に選出されることになり(試写上映を映画祭ディレクターがブルガリアまで観に来たらしい)、ジェリャズコヴァは渡仏した。ブルガリアは閉鎖的な環境であり、同時代の同業者と触れ合うことが出来たのは非常に貴重な経験だったようだ。ジェリャズコヴァは海外の人々がアレゴリーに気付いてもらえるか心配していたらしいが、少なくとも記者会見の場にいた記者や批評家たちはそれを理解していたと知って安堵したそうな。

再び"休みを与えられた"ジェリャズコヴァは、『The Last Word』と同様に女子刑務所における問題について、特に囚人の子供たちについてのドキュメンタリーを二本撮るなど活動を続けていた。その後、3本の撮影許可が降りる。『The Swimming Pool』(1977)、『The Great Night Swim』(1980)、『On the Roofs at Night』(1988)は緩く三部作を形成していると言われている。50年代から60年代にかけてジェリャズコヴァとガネフを突き動かしていた情熱から離れていき、語り続けることについてというテーマに移行していったのだ。特にインタビュイーのクリメント・デンチェフ(Kliment Denchev)が出演した『The Swimming Pool』で印象に残ったシーンというのが興味深い。"沈黙とはなにか?"と街の人に訪ねて回るシーンで、老人が"沈黙とは死だ"と応えるのだ。それに対して、『On the Roofs at Night』に登場する元レジスタンスの老人は、抵抗の記憶を語ることを拒絶する。黙ってしまった人々が黙り続けることは良い結果を生まないことを指摘し、自身は声を上げ続ける。三部作で提示したのは、このドキュメンタリーの主題でもある"沈黙すること"についてだったのだ。

80年代も後半になると、女性映像制作者たちの国際ネットワーク"Women in Film&Television International"に参加するなど、国際的な認知を広げていったジェリャズコヴァだったが、奇しくも共産主義体制崩壊以降映画を撮っていない。1989年に西ドイツ映画祭で『The Tied Up Balloon』が上映解禁された際に、報道陣から次回作について問われたときは"自分の子供時代、『アマルコルド』みたいな映画を撮りたい"と応えたらしい。どうして撮らないのかという直接的な原因は、本人たちが出演していないので意図的に明確な回答を避けているが、"二人が人生に妥協しなかったことでアウトサイダーになってしまった"からではないかと推測している。

このドキュメンタリー作品は、1994年にニューヨークに移住したブルガリア人監督によって撮られている。彼女によれば、製作当時の時点でジェリャズコヴァの存在は一般には知られておらず、アクセスも容易に出来ないらしい。その状況、14年経っても変わってないどころか悪化してます…

・作品データ

原題:Binka: da razkazesh prikazka za malchanieto
上映時間:48分
監督:Elka Nikolova
製作:2007年

・評価:100点

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