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Binka Zhelyazkova『The Swimming Pool』ブルガリア、ある少女が見た世界の欺瞞

人生ベスト。圧倒的大傑作。ブルガリアの至宝ビンカ・ジェリャズコヴァ(Binka Zhelyazkova)によるキャリア後期の代表作で、続く二本『The Great Night Swim』(1980)、『On the Roofs at Night』(1988)と緩く三部作を構成している。監督ビンカ・ジェリャズコヴァとその夫で製作上のパートナーだったフリスト・ガネフは、共に共産主義政権樹立に際して積極的に参加したものの、理想主義者だった二人は、すぐに政権の欺瞞に気付き、深い幻滅を味わうことになる。この緩く形成された三部作では、これまでのストレートな作風から離れ、20歳前後の女性を主人公として、次世代に継承されてしまった嘘まみれの疲弊し停滞した同時代の社会の欺瞞を主体的に明らかにしていっている。

そんな本作品は、ある女学生ベラの深刻な幻滅で幕を開ける。専門学校の卒業パーティに向けて着飾りながら、パートナーのミショが迎えに来るのを待ち構えていたが、2時間遅れでやって来た彼は"他にも色々エスコートしたから忘れてた"と言って肩をすくめたのだ。ベラは家を飛び出す。パーティには参加したのだろうか、翌日昼に彼女がいたのは多くの同級生と同じく屋外のプールだった。しかし、階下でどんちゃん騒ぎを続ける同級生たちを尻目に、ベラは飛び込み台の上にいた。そこで彼女は監視員のバイトをしている壮年建築家アポストルと出会う。浮ついたプレイボーイのミショに比べて落ち着いてミステリアスなアポストルに惹かれたベラは、すぐに彼を自宅に案内する。すると、彼は"この家に見覚えがある"、"自分がレジスタンスの戦士だった頃、隠れ家として数日泊まったことがある"と言い出した。

ベラの周りには三人の大人がいる。一人目は母親ドーラである。彼女は共産主義プロパガンダを垂れ流すTV番組のインタビュアーであり、"微笑みのドーラ"と呼ばれている。男性社会で女性であることを搾取されながら抵抗しない彼女の存在は、ベラが社会や世界に幻滅する元凶の一つだった。後に、ドーラがプールで運動する退役軍人たちを取材している場面に出くわしたベラは、遠くからその欺瞞的撮影風景を見守ることになる。そこでは、番組の方針に合わない映像はさっさと撮るのを止め、何周も泳いできたかのようにインタビュイーに水を掛けていた。なんとなく嘘くさいなという雰囲気を決定的に嘘であると知った瞬間だった。それに加え、彼女の仕事自体はインタビュイーを含めた市井の人々からは馬鹿にされていて、看板であり女性である彼女は矢面に立たさてているのを間近に見て、更に幻滅を重ねることになる。それは、共産主義を妄信するふりをしていても女性だから蔑まれる社会に対する幻滅も含まれる。
二人目はアポストルである。レジスタンスの戦士として自由のために戦った彼は、大人の世界に幻滅したベラにとって理想の具現であり、建築家として理想を追い求める姿からも憧れを強くしていく。その理想というのは、建造物は施設を使う人間と同じだという信念の下、裁判所や病院の画一的なデザイン(曰く"スーツ&ネクタイという役人の格好そのもの")を一新しようとするものだが、残念ながら絵空事で終わってしまっている。また、彼はレジスタンス時代に出会ったヌシャという女性と結婚して戦後まで生き延びたが、彼女は1年前に事故死してしまっている。ナチスと戦って自由を得ることも、理想的な建物を建てることも、妻との生活も全て破れて過去に生きているアポストルは、どこか監督夫妻に近いものを感じる。ベラはそんな彼の全てを受け入れようとするが、アポストルは先に踏み出せない。
三人目はアポストルの友人でパフォーマーのブフォである。彼の芸は録音した音声を流しながら、偽物の小道具を使って、それをあたかも本物のように扱うというもので、偽物/本物という対立構造から、嘘/真実、本音/建前、過去/現在、そして理想/現実を橋渡しする役目を負っている。30代くらいの彼は、50代に近いアポストルと20歳前後のベラの間くらいの世代で、ちょうど二次大戦末期から戦後に生まれた、共産主義政権時代以前を知らない人物であることも、境界を司る彼の立ち位置が理解できる。また、女好きの彼は自分の取り巻きたちを"小リスちゃん"と呼んでおり、その女性蔑視的な視線をベラは気に入っていない。境界を繋ぐことで全ての属性を持つメフィストフェレスのような存在である。そんな彼もまた、自身に才能がないと思い悩んでいた。

英題"水泳プール"は上述のアポストルの理念に由来している。裁判所や病院が堅苦しい場所であり、設計当初の畏怖が形骸化して恐怖しか残っていないとするのに対して、プールは年齢や職業に関係なく、生まれたままの裸で使用する施設として、平等や平和の象徴のように扱われている。中盤でドーラの番組がそこへ入り込み、全てを組み替えるグロテスクさを提示するなど重要な場所であり続ける。ここでポイントなのは、ベラは飛び込み台から着衣で飛び降り、その逆回し(つまり着衣での上昇)がラストで登場することだろう。平等と平和の象徴であるはずのプールに着衣のまま迷い込み、アポストルやブフォと出会ったことで、彼女は着衣のままアポストルのいた場所へと戻っていく。終盤でのアポストルとの展開から鑑みると、私はハッピーエンドだと思っている。また、平等の地を飛び込み台の上から神のように見下ろしているアポストルは、作中で一度も飛び込まず、離れた位置から理想と過去にすがりつく彼の姿を、地上と一度も干渉しない姿と重ね合わせている。ラストは彼のいた場所への帰還を示しているのだろう。
もう一つ、裸に関する議論として、ミショとアポストルが対峙した際に、ミショが"自分にはなにもない"として服を脱ぎ捨てる場面が存在する。アポストルは"すぐに裸になれる(=しがらみがないと思っている)のは若さゆえの無知さにある"としており、これは後に服を脱ぎ捨てて母親と対峙するベラの覚悟とも重ねられている。

ある時、ブフォは沈黙を録音することを思い付き、街の人に沈黙とは何か?と突然質問して回る。その中で、沈黙とは死であると答えた老人がいた。これはジェリャズコヴァの考えそのものだろう。現実に疲れ果て頑なに沈黙を守るアポストルの横で、同じくレジスタンスの一員だったパブロフ医師は語り続け、遂には死んでしまう。戦後32年という時間はそれほどまでに大きな時間であり、ジェリャズコヴァも危機感を持っていたに違いない。これまで戦ってきた中で、語ることを止めてしまった同士、語りながら亡くなっていった同士を横目に見ながら、未だに変わらぬ社会を見て思う絶望がこの作品には反映されている。

・作品データ

原題:Baseynat
上映時間:148分
監督:Binka Zhelyazkova
製作:1977年(ブルガリア)

・評価:100点

本作品を鑑賞したことで、オールタイムベストTOP10が3年ぶりに変化した。変化後のTOP10は以下の通り。

1. ミスター・ノーバディ (ジャコ・ヴァン・ドルマル)
2. 山猫 (ルキノ・ヴィスコンティ)
3. 四月の永い夢 (中川龍太郎)
4. 沈黙 (イングマル・ベルイマン)
5. マルケータ・ラザロヴァ (フランチシェク・ヴラーチル)
6. ひかりの歌 (杉田協士)
7. アルテミス、移り気なこころ (ユベール・ヴィエル)
8. Sinbad (フサーリク・ゾルタン)
9. The Swimming Pool (ビンカ・ジェリャズコヴァ)
10シモン・マグス (エニェディ・イルディコー)

・ビンカ・ジェリャズコヴァ その他の作品

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