イリヤ・ポヴォロツキー『グレース』北コーカサスの荒野を旅する親子の肖像
イリヤ・ポヴォロツキー(Ilya Povolotsky)長編一作目。ロシア政府から資金援助を受けていないとして2023年カンヌ映画祭監督週間に選出され、この年のカンヌに出品された唯一のロシア映画となった。監督もウクライナ侵攻については反対を明言している。監督がウドムルト共和国の首都イジェフスクで生まれ育ったこと、そして本作品がロシア東部の辺境地域(コラ半島と北コーカサス)を旅する物語であることから、カンテミール・バラゴフと比較されることも多い。ただ、ポヴォロツキーは大学時代をモスクワで過ごしているので、ソクーロフ門下生というわけではないようだ。本作品は内向的な父親とその10代の娘が移動式映画館とポルノ映画のコピーDVDを売りながら細々と旅を続ける様が描かれている。二人共必要最低限の会話しかしないので、必然的に二人が巡る辺境の荒野が前面に出てくる。自分たち以外誰も居ないような荒野、山に切り開かれた道、一軒だけ建つ家、道沿いに並んだ風力発電機、荘厳な廃墟。或いは動的な記憶としての車やバイクに囲まれた娘。Nikolay Zheludovichによる印象的なズームアウトは二人だけの世界の外側に広がる自然や人間生活の多様さと厳しさを同時に教えてくれる。一方で、人生の全てが詰め込まれたバンは古びて狭く、閉所恐怖症空間として切り取られている。背景に聳え立つ廃墟と同じく、バンも廃墟同然なのだ。また、娘が要所要所で人生に関わった恐らく二度と合わないだろう人物をチェキに収めているのは、彼女にとっての彼らの墓標なのだろう、と。荒涼さと美しさの両立という意味では『ノマドランド』を想起させる部分もあるが、綺麗な思い出だけ掬い取ったノマド勧誘映画だった同作に比べると、本作品で描かれる痛みや停滞した時間には"いつまでもこの生活が続かない"という切迫感がある。それは主人公である10代の娘が、無邪気で居られた時間の終焉とも重ねられている。監督は"廃墟を捨てて逃げ出す者もいれば廃墟の中に生きることを選び、そこに意味を見出す者もいる、どちらにせよ彼らは前進して旅を続けるのだ"としている。ラストはそこまでの流れを汲むと希望的には見えないが、"未来を知るとそのせいで不可避になる"という父親のある種の言い訳を肯定的に描いているのかもしれないと思うなど。
・作品データ
原題:Блажь
上映時間:119分
監督:Ilya Povolotsky
製作:2023年(ロシア)
・評価:80点
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