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マーク・ジェンキン『ベイト(餌)』バカンス事業の暗部、或いは悪夢の"女っ気なし"

故郷コーンウォールを中心に活動するマーク・ジェンキンは、これが何本目かの長編作品(多分五本目?)であるのに全く無名であった。無名過ぎて長編デビューであると紹介された記事すらあった。金がないばかりに父から譲り受けた家を金持ちの別荘として売っ払い、生活のために最も必要な船ですら観光用に改装する兄弟の物語であり、正に悪夢版『女っ気なし』と言った具合か。魚の顔や人間の所作をグロテスクに強調する本作品は、一連の行動をぶった切って分離してまで所作を強調するせいで、どこかサイレント映画的なぎこちなさと、ボタンを掛け違えたような居心地の悪さが共存している。ぶった切られた人間の動作は映画そのものに感染し、脈絡のないカットをサブリミナル的にぶち込むことで映画の流れを自由に伸縮させ時間すら超越させることで、プリミティブな形のモンタージュ理論を構築することに成功している。例えば、地元の女性がキューボールを投げるシーンでは、警察が来る前に逮捕シーンをサブリミナル的に導入して未来を暗示させるし、なんならラストシーンとファーストシーンは全く同じなのだ。そして、異なる動作が一つに交わるように配されることで、それら二つが次第に融合していく。
これは後から知ったのだが、ジェンキンはサイレント映画を作るように音声を敢えて収録せず、声を含めたすべての音を後から付け加えたらしい。まるで吹き替え映画を観ているかのように、意図的に視覚的情報と聴覚的情報に解離をもたらすことで後述の"金持ちと地元民の対立"と呼応して、ある種の違和感を与えてくる。ジェンキン本人が抱えていた16mmフィルムのストックを使った上で、映像には(恐らく)恣意的なノイズが乗っかりまくっていて、ひたすら不穏。

この意図的に作られた映像の迷宮で苦しむのはある漁師兄弟だ。兄のスティーヴンは観光業に乗っかって、船を改造して観光船に変えてしまい、実家は勝手に売り払ってしまう。それに反発する弟のマーティンは甥ニールを借りて砂浜に網を埋めて魚を数匹捕まえることで漸く漁師としての生活を続けていた。彼らの仕事場で命を掛けた闘いをしている横で、バカンスを楽しむ都会の金持ちたちは優雅にビーチを楽しんでいる。迎合するスティーヴンと反抗を選ぶマーティンの間にいるニールは、マーティンから漁業を学びながらもバカンス客のケイティーと仲良くなり、"侵入する異文化"に対して自分なりに対処しようとしている。埋められない対立の中にいる唯一の人間といっても過言ではないかもしれない。

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"釣り餌"とはこの村自体だ。都会の人間が自分の生活の片手間に田舎の漁村を牛耳り、それをバカンスビジネスに繋げて金儲けを企む。地元の人間はそれに振り回されている。実家ごと駐車スペースまで買い取った金持ちはマーティンにそのスペースを貸さないし、朝から船を出そうものなら"うるせえ!"とブチ切れられる("君は法律を犯しているぞ"という名言まで聞ける)。地元の生活は都会の人間たちに踏み躙られ、田舎を利用した都会人による都会人のためのビジネスは地元になんの利益を落とさないまま都会人たちの中で回っていき、バカンスが終われば誰も居なくなる。埋まらない溝はサブリミナル的な切り返しで埋められるのみだ。そして、映像のぎこちなさに起因する居心地の悪さは、アイデンティティが揺らぐマーティンの当て所もない旅路に重ねられていることに今更ながら気付かされる。

ドキュメンタリーライクな実験映画でありながら、どこか『The Last Black Man in San Francisco』にも似た構造を持つ本作品は、網にかかった魚のように動けぬまま、徐々に窒息していく人々を描いている。望まぬまま流入する異文化との衝突がメインなのか、それらを理解し得ぬまま殻にこもることがメインなのか(要するにブレクジット)は捉え方次第なのかもしれないが、この間延びしたようで実に引き締まった本作品が素晴らしい作品であることには変わりがない。

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・作品データ

原題:Bait
上映時間:89分
監督:Mark Jenkin
公開:2019年8月30日(イギリス)

・評価:100点

本作品は2020年新作ベスト10で3位に選んだ作品です。


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