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Christo Christov『The Barrier』ブルガリア、空に飛び去った妖精について

人生ベスト。バー帰りに車に乗った中年作曲家のアントニは、後部座席に見知らぬ美少女が乗っていることに気が付く。驚き散らかすアントニだったが、彼の問いに対して冷静に、そして同時に支離滅裂で不明瞭な答えを返す少女ドロテアの不思議な魅力の虜になり、まるで魔法に掛かってしまったかのように同棲を始める。というなんともMPDG映画っぽい導入だが、本編はドロテアのように繊細で、まるでこちらまで魔法に掛けられたかのような魅力を放っている。その一端を担っているのはドロテアを演じた Vania Tzvetkova に依るところが大きい。シアーシャ・ローナンやアレクサンドラ・ダダリオのように虹彩の色が極端に薄いのに加えて、その透き通るような存在感は本当に人間ではないのかもしれないとさえ思えるほどだ。

ドロテアは天才的な音楽センスを持っており、アントニの仕事を手伝うことで内に秘めたガラスのような繊細さがセンスの源として表面化していく。それと同時に彼女の苦しい過去の記憶も姿を表し始め、アントニすらも羨み恐れるような超人的な能力と不可分であるために、彼女の繊細さは諸刃の剣であることも明らかとなる。彼女は純度100%の感情で爆走しながら繊細さを併せ持っているため、アントニは二人の間に気づかれた親子のような恋人のような親密な関係性を続けるべきか悩み始める。純粋な彼女に振り回されてはいるが、それ自体に問題はなく、振り回したことによってドロテアがアントニの態度から忖度して傷付いてしまうことを恐れているのだ。それほどまでに、ドロテアは大切な存在だし、繊細で脆い。

彼らの親密さの中心には、すべてに絶望し"空を飛ぶこと"にのみ幸福を見出したドロテアと「白鳥の湖」のオデット姫(或いはジークフリート王子)が重ねられており、両者は音楽センス及びそれと不可分な過去の記憶を挟んで強固に結びつきあっている。本作品が悲劇的なのは、本編と異なりアントニがドロテアをオデットかオディールか見分けられずに手を引いてしまった点にあり、それによってアントニが不格好にも現世に取り残されてしまったことにある。当時の社会を鑑みると、やはり"空を飛ぶこと"は自由になることとほぼ同義であるように思えるが、その自由さを逆に躊躇してしまって取り逃がしてしまったという見方もできるのかもしれない。

英題"The Barrier"とは、ドロテアの主治医ユルコヴァがアントニに対して投げかけた"あなたは壁を越えられない"という言葉から取られている。それはドロテアとアントニを隔てた障壁を指し、確かに彼は一度も越えることができなかった。ドロテアが傷付くことを恐れたと言いながら、自分が傷付くことを恐れていたからだ。

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・作品データ

原題:Бариерата / Barierata
上映時間:103分
監督:Christo Christov (Hristo Hristov)
製作:1979年(ブルガリア)
※本作品はフリスト・フリストフ『障壁』として一度日本でもTV放映されたという情報がある。真偽は不明。

・評価:100点

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