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オタール・イオセリアーニ『唯一、ゲオルギア』ジョージア二千年史とその唯一性について

大傑作。オタール・イオセリアーニ特集上映配給のビターズ・エンド様よりご厚意で試写を観せていただく。かつてジェームズ・ジョイスは自著『ユリシーズ』について"たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる"と語ったらしい。当時フランスに亡命していたイオセリアーニも内戦で崩れゆく故国について同じことを思ったのかもしれない。つまり本作品はイオセリアーニにとっての、或いはジョージアにとっての『ユリシーズ』なのだと私は思う。本作品は240分という長大な時間を三部構成としている。第一部ではソ連への併合に至るまでの歴史と文化を描いている。東欧におけるキリスト教の最東端として、4世紀頃からキリスト教が国教となり、様々な教会が建てられ、初期キリスト教の聖遺物も保存していたこと。ヨーロッパと中国の間にある交通の要衝という地理的な要因で、ペルシャ、トルコ、モンゴル、ロシアから攻められ続けていたが、独自の文字であるジョージア文字を使って記録を残し続けたこと。絵画や建造物、文書といった有形の記録もあれば、パン作りやワイン造り、踊りや歌など無形や口承の文化も併せて語られる。言ってしまえば、様々な資料(第一部では壁画や生活風景が多い)を元に語られるジョージア二千年史の授業といった感じなのだが、続く第二部第三部における蹂躙と内戦を深く理解する上で、ジョージア人として誇りを共有するのに必要な時間なのだ。

第二部では、第一部に続くソ連に併合されたジョージアの歴史と文化について語られる。第一部に比べて資料映像が格段に増え、当事者たちへのインタビューも交えながら、スターリンの故郷であり世界から見ればソ連のいち地方だったジョージアから見たソ連という国家と、文化を守るための戦いが明らかにされていく。中でも終盤でレクヴィアシュヴィリやシェンゲラヤ兄弟といったジョージアの映画監督たちが、それまで引用には使われていたものの明言は避けていた"映画"の立ち位置について語ったパートは、イオセリアーニの確かな誇りを感じて目頭が熱くなる。メラブ・ココチャシヴィリの言うように、ジョージア映画の特異な立ち位置は、本作品に引用されている数々の映画の断片からですら推測できる。それらを使ってジョージアの文化と歴史を余すことなく語れるのだから。

第三部では近過去10年の歩みに触れる。レーニン像建造のための資金をそっくり英雄騎馬像にするなどの反ソ連的行為も多くの場合見逃されてきたジョージアにおいて、キリスト教の復権し、集会が度々開かれるようになり、メラブ・コスタヴァやズヴィアド・ガムサフルディアといった指導者たちが現れ、"4月9日の悲劇"に繋がっていく。その流れは正しくセルゲイ・ロズニツァ『ミスター・ランズベルギス』で語られたリトアニア独立のコンテクストとほぼ同じであり、アーカイブとインタビューという語り口まで似ている。そして、共にソ連側に付きながら、全く異なる道を歩んだ同時代の人物、ズヴィアド・ガムサフルディアとエドゥアルド・シェヴァルドナゼの肖像に迫る。第一部で明かされた通り、異教徒や異民族に寛容だったジョージア人が、内戦によって引き裂かれていく様は、ジョージア人としての誇りを共有したからこそ、より悲惨に映る。ロズニツァとの違いはここにあるだろう。

惜しむらくはフランスのTV番組のためにフランスで製作されたせいで、全編に渡るナレーションがフランス語であることか。イオセリアーニもジョージア語で撮りたかっただろう。

・作品データ

原題:Seule, Géorgie
上映時間:236分
監督:Otar Iosseliani
製作:1995年(フランス)

・評価:90点

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