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完全なる消え方の練習――解体されるモダニズム建築の記録

 人はすでにそこに無いものにどうしようもなく惹きつけられる。マンモス、マヤ文明、インカ帝国、ポンペイ……。はるか昔の痕跡から逞しい想像力を働かせる人々の営みは、多くの物語を生み出してきた。遺跡というのは、朽ち果てながらも無限の価値を持つ不思議な存在である。

 「ユートピア」という言葉は、一六世紀に英思想家トマス・モアが出版した『Utopia』から来ている。ギリシア語の「où=無い」「tópos=場所」を組み合わせた造語で「どこにもない場所=理想郷」という意味になったそうだ――ただ、この頃のユートピアは完全に管理された、いわばディストピア的世界として今では理解されている――。

 二〇二三年となった今、はるか昔だけの遺跡に限らず、二〇世紀に建てられたものさえも存続の危機を迎えている。その最たるものが鉄コン筋クリートでできた無機質な建築群だ。一般にモダニズム建築と呼ばれる。モダニズム建築とは、近代建築のことで産業革命以後、一九二〇年代に機能主義、合理主義の建築として確立した。一九世紀の様式建築を否定し、シンプルで機能的な鉄、コンクリート、ガラスを主とした建造物が世界を席巻した。仏建築家ル・コルビュジエ、独建築家のヴァルター・グロピウス、米建築家フランク・ロイド・ライトなどが著名だ。

 表向きは極めて没個性的で冷たい印象があるモダニズム建築だが、その確立には一九世紀イギリスで起こった産業革命における都市への人口集中による深刻な住宅不足問題があった。エベネザー・ハワードが提唱した新しい都市形態「田園都市」――都市の経済的利点と、農村の優れた生活環境の結合――という考え方が大きな影響を与えている。さらに、同時代に安価で粗悪な製品であふれた生活を批判し、丁寧な手仕事による芸術を生活に取り込むことを目指したウィリアム・モリスの「アーツ・アンド・クラフツ」運動や、ロシア構成主義、オランダのデ・ステイルなど産業革命の余波で生まれたヨーロッパ各地の芸術運動が近代建築運動へと発展した。

 日本においても、明治維新後、急速な西欧化による生活様式の変化が起こったことは皆の知るところだ。山田守、石本喜久治、堀口捨己らの「分離派建築会」の結成が建築運動の始まりとされる。まだこの頃は東京駅や鹿鳴館など折衷の建物が主流で、思想としてモダニズムが日本に定着することなくそのまま戦争へと突入した感がある。本格的にモダニズム建築が興隆したのは、戦後復興まで時を待たなければならなかった。

 文化庁は「建築文化に対する検討会議」として二〇二三年五月二五日に、第三回の検討会議を行い、建築を文化として残すための法整備の必要性などを盛りこんだ検討案を提出した。二〇二三年三月に照明デザイナーの石井リーサ明理を議長に、建築家の隅研吾、工学院大学理事長の後藤治、早稲田大学理工学術院教授の佐々木葉、一橋大学教授で政府税制調査会委員の佐藤主光、俳優の鈴木京香、『Casa BRUTUS』編集長の西尾洋一、大成建設株式会社設計本部シニア・アーキテクトの堀川斉之、株式会社カルチャースタディーズ研究所代表取締役の三浦展、東京工業大学博物館副館長で教授の山﨑鯛介という七人のメンバーで検討会が結成され、すでに四月と合わせて二回の検討会が開催されていた。

 わたしは十年ほど前から小説を書き始め、公募に作品を書き続けている。二〇二二年に応募した『第四回阿波しらさぎ文学賞』に掌編「打壊鉄槌(だかいてっつい)」という作品を執筆するにあたり、鳴門市に多くの公共施設を残した建築家・増田友也の建築群を題材にした。そのときに日本のモダニズム建築について知り、大いに興味を抱いてから半世紀以上が過ぎた現在においてモダニズム建築の多くが老朽化や耐震に伴う改築が必要なものの、地方自治体にそれだけの予算を組む財政力がなく多くが取り壊されている問題について考えるようになった。実際に、増田の残した一九作品のうち《鳴門市民会館》は二〇二一年に取り壊され、《鳴門市庁舎》も解体が決定している。遺作となった《鳴門文化会館》も現在、改修工事が行われている状態だ。

 これは地方だけの問題ではなく、ル・コルビュジエに師事し日本モダニズムを牽引した板倉準三設計の《新宿小田急百貨店新宿本店》の解体など、都内中心部においても日本のモダニズム建築は老朽化による「解体か改築か」の選択が迫られている。今後、法整備で事態がどのように変わるかは分からないし、暫くは時間がかかるだろう。そのような政治的な状況とは関係なく、刻々と老朽化は進み続ける。正直言って、こんな悠長なスケジュールでは、ただ〝やった感〟を出して終わる気さえしている。せっかくこの東京の街に住んでいるからには、その建築が永遠に失われてしまう前に、この目に焼き付けておく必要性を感じている。そして、その記憶を書き記しておくことに決めた。

 英ロックバンドRadioheadの曲に「How to Dissapear Completely」という曲がある。直訳すると「完全に消える方法」だが、「完全な消え方」と言った方がしっくり来る。というのも、堀江敏幸の小説に『その姿の消し方』(新潮社)という作品があって、本人は言及していないものの、不思議な一致をわたしが勝手に見たからだ。曲の方は『Kid A』という二〇〇〇年のアルバムに収録されていて、前作『Ok Computer』の世界的ヒットとツアーで疲弊したフロントマンのトム・ヨークが「ステージ上にいる自分は自分じゃない、自分はここにいない」ということを歌っている。アコースティックギター片手に叙情的に歌い上げるシンプルな旋律と、マルチプレイヤーのジョニー・グリーンウッドが演奏するオンド・マルトノの深淵な音層が印象的だ。トム自身、インタビュー記事で「最も美しく出来た曲」と言及している。ステージ上の煌びやかなイメージとは対照的に、深く雄大な宇宙をも思わせる穏やかさを秘めている。

 小説の方は、フランスの古物市で見つけた一九三八年の消印がある絵葉書に書かれた「アンドレ・ルーシェ」という会計検査官であり詩人による一篇の詩を巡り、語り手が二〇世紀の詩人の人生に思いを馳せる時間と空間を悠々と超える長篇だ。手紙の受取人や差出場所という、わずかな痕跡から戦争やフランスの市井の生活が滲み出ている。堀江は池澤夏樹との対談で「詩は、時間をつなぐ装置でもあるし、僕と語り手とをつなぐ橋でもある」と語っている。

 わたしは小説を書く上で、すでにいない「死者」や今はもう無いもの、「喪失」を前提にしている節がある。書かれたものというのは、その時点で過去のものである。ノスタルジーと言ってしまえばそれまでだが、わたしの記憶にあるものを書き記す行為というものは、わたしが社会、公的なものと繋がる唯一の行為である。にもかかわらず、書かれたテキストは読み手の環境や時代によって常に解釈が変わってしまう。SNSが一般化した今なら書くという行為にはやはり、ある程度技術が必要であることは明白だろう。それは、「消え方」という方法論なのかもしれない。同時に時間と空間を超える記憶の伝承でもある。

 ユートピアとして夢見られた思想が具現化したモダニズム建築も劣化と自然災害の前には無力だ。だが、その消えゆく遺構にわたしはかつてそこにあった理想や繁栄の面影を感じずにはいられないのだ。

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