真面目なままでも生きていけるよ

初めてHumpbackのライブを見た。
ボーカルの女の子がすごいという話だけ聞いていた。
なにがすごいのかも、持ち歌も、一切知らない状態で牛若の舞台に足を踏み入れた。


会場は大雨、そして満員。ボーカルの萌々子ちゃんは、すごい人だった。
魅力はいろいろあるけれど一番感じたのは「言葉の強さ」だった。
その場にいる人を引き込む話し方をする。
特に印象的だったのは「自分が真面目であるということへのコンプレックス」の話。

中学生の頃、私はおバカキャラでありたかった。当時放送されていたクイズ番組で何の気なしの発言なのに自然と笑いが取れるおバカタレントたち、クラスでやいやい言われながらも授業中に天然回答を連発する同級生(本物の天然だったのか天然キャラだったのかは分からないままだけど)。なんだか眩しく見えて、楽しそうに見えて、ああやって何も考えずに生きていたいと思った。授業で習ったことを前に出すことはやめて、知っていても分からないふりをした。それが可愛いと思っていた。
でもダメだった。授業はちゃんと聞いてしまうし人並みに予習復習はしてしまった。テストの点数もおバカとは程遠かった。
2年前、私は大人になりたかった。彼氏だって欲しかったし、大酒を飲んでケラケラ笑っていたかった。
でもダメだった。彼氏は相変わらず出来ないし、嫌な思い出だけが残って彼氏がいることが大人なのかすら分からなくなってしまった。お酒を飲んで大暴れ、も結局できなかった。そんな人間になれなかった。

私の好きなブロガーさんが「真面目だねって言われるのは苦手。他意はなくてもその言葉の奥に嘲笑を感じる」と言っていて、とても共感した。真面目はダサくて、不真面目がカッコいい。そんな風潮に触れる事があって、そのたびに揺らぎそうになる。
確かに程よく手を抜いたほうが楽に生きられるのかもしれない。上手く立ち回って得するのかもしれない。

でも最近になって思う。真面目だって最高にカッコいい人もいる。むしろ不真面目そうに見えて実は真面目な人の方がその逆より数億倍カッコいい。私はそう思う。
真面目であることがダサいことの要因になることなんてない。きっとダサいの根底には他の理由がある。
損をしたって、上手く生きられなくたって、真面目に生きていたい。他の誰になろうとしなくてもいい。私は私のままで、根底は真面目なままでいたい。そうやって生きていてもかっこよく生きていけると信じて生きていくことにした。
雨の牛若ステージでそんなことを決意した。

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