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1人の時間がほしいとき


1人の時間がほしいときがある。
誰にも邪魔をされず、誰かのことを気にもせず、自分の心が向くままにゆっくりとマイペースな時間を過ごしたくなるときがある。

今ある人間関係を窮屈に感じて疲れてしまった時、人と関わることが億劫になってしまう。自分のありのままでいられる場所がないと感じて辛くなり、その場所にいることがしんどくなってしまう。どうして自分が望む通りにしてはだめなのだろうか。自分の行動で思いがけず自分以外の人を傷つけてしまったり、あらかじめそうならないようにと考えて行動しなければならないと思うことに疲れてしまう。

そんなとき他人と関わるというのはつくづく面倒くさいものであると思ってしまう。人間関係において、自分にとっての善が他人にとっての悪になるということは日常茶飯事だ。当たり前だが自分と同じ他の人間はこの世に存在しない。だからこそ他者は自分と同じ考え・価値観を持たないのが当たり前だとはわかっている。それでも、理解してもらえないことに苦しみ、理解してもらうための努力をすることに疲れてしまうときもあるものだ。

だれもが自分が幸せになるために生きているのだと思う。そのために望むものは人それぞれであり、他者との強いつながりがほしい人もいれば、他者とのつながりよりも自分とだけ過ごす時間の方がほしいと言う人もいる。ただ、心地よいと感じる感覚は人によって違うのだから、必ずしも他者とのつながりがなければ不幸だというわけではないだろう。それでも、完全な孤独になりたい人はほとんどいないと思うので、自分にとって心地良い距離感のある人間関係を構築できることがとても大事なんだと思う。

俺もたった1人で生きたいなどとは思わない。だけど、今のところ誰かのために生きることが幸せだとは思えていない。人とのつながりはほしい。だけどそれは自分が自分らしくいられる場所が確保された上であって、自分らしくいられない居場所なら無理にその場所に留まる必要はないとも思っている。なぜなら、一番大切なのは自分が幸せになることであるし、そもそも自分のことを大切に出来ない人は他人のことなど大切にできるわけがないと思うからだ。だからこそ、誰もが自分の中の大切な価値観を尊重して生きることが当たり前にできればいいと思っている。

誰もがその人自身を満たす生き方が当たり前になり、誰に対してもそういうものなのだと思えるようになれればもっとやさしい世界になるに違いない。そんな風にシンプルに考えて生きていけたら、もっと身軽で心地よいと思っている。


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