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毎日やるべきだと思っている。


毎日やらなければならないと思うものに囲まれている感覚がある。

そもそも自分で次から次へとやるべきことを作り出してしまうために、「~しなければならない」という思いが常に生じている。平日はもちろん、休日だってそうだ。部屋の掃除をしなければならない。親にたまには連絡しないと親不孝だし連絡しないといけない。さすがに冬用のカーペットもいい加減片付けないといけない。ただ、しまうまえに洗ったほうがいいんだろうけどめんどくさい…。最近買った観葉植物が植え替えたらあんまりきれいに生えてないからもう1回植え直さないと。頼んでいた洋服を受け取りにも行かないと…。などなど。

何かに追われているというのはある意味ではとても楽なものだ。それをしていることで、とりあえず自分は必要なことをしていると思えるので、無駄なことをしていないと思える。自分は意味のある行動ができていると思えるので安心することができるものだ。自分が今していることはやらなければならないことなのだからしょうがない。そんな言い訳とともに、自分を肯定する理由にもするのである。だから、何かやらなければならないことを作りたがるし、常に何かしなければならないことはないかと探すクセが付いているようにも思う。

しかし、この感覚にばかりとらわれているとやりたいことをする自分を責めてしまうことにもなりかねない。やらなければならないことを放棄して、自分のやりたいことを優先してしまった…。そんなふうに自分のことを責めてしまうのである。やらなければならないことを片付けてからでないと、自分はやりたいことをしてはならない。そんな考えが前提にあるせいで、やりたいことをすることを悪だと思ってしまいがちになってしまう。まるで宿題をサボって遊びに出かけてしまったかのような罪悪感を感じるのだ。そんな気持ちを感じるたびに人生を損しているような気持ちにもなってしまう。

やりたいことを心から楽しめないのはもったいないものだ。もちろんやらなければならないことをするのは必要なことだし、いつだってやりたいことだけができるわけではないものだろう。それでも、やりたいことを優先してしまったときに自分を責めてしまうのはもったいないことのはずだ。やりたいことが出来て楽しいと感じたり、幸せだと思えたりした気持ちを否定することは、自分らしさを否定することだとも思うからである。自分を否定するほど、かえってやらなければならないことをするモチベーションも下がってしまうだろう。

やらなければならないことをすることはとても立派なことである。ただ、それと同じくらいにやりたいことができることも必要であるし、大切なことであることを忘れないようにしたい。だからこそ、今日は午前中にやりたいことを優先してしまったが、後悔なんかせずにやりたいことができてよかったと思いたい。そして午後からはやらなければならないことに取り組もう。


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