ぼくが思う「うつ」の意味とか、つきあい方とか

*2022/5/13作成

ぼくは、5年前に父親が急死した頃から「うつ」の症状が出てきて、以来、断続的にうつとは付き合ってきてまして。
今では、うつもぼくのキャラクターの一つと言えるくらいに、馴染んできました。
以前みたいに、急にエネルギーが落ちて、何もできなくなるようなことはなくなってます。

今思うに。
「うつ」は、自分の外の世界で起こる出来事に対する反応というか。
それらを受け入れるために、そのときのぼくに必要なプロセスだったように思います。
もう一つの「うつ」の機能として、これはぼくにとっては大きかったのですが、自分のいる環境を強制的に劇的に変える働きがあるのかなと。

ぼくはこの5年間で、
① うつで会社に行けなくなって、会社を辞めて、
② 癒しを求めて別荘(=安い中古マンション)を買って、さらに定住用のマンションに買い替えて、鴨川の地に移住することになって、
③ 鴨川で採用してもらった会社(2社)でも、うつで働き続けることができず
④ 会社勤めはできないと悟って、株トレで生計を立てよう!と決意します。

会社を辞めるとか、東京から離れるとか、株トレで食ってくなんていうのは。
通常の状態であれば、なかなか決断できるものじゃないので。
「うつ」に無理矢理に進路変更された、というか、変更してもらった感じがするのです。
その進路変更のおかげで、今のぼくは、まだまだ道の途中ながら、田舎でのんびり好き放題生活という、ぼくの理想に近づけてます。

これは、長いこと悩んできたことですが。
他の多くの人と同じように、今抱えている責任を継続して果たすことができないは、ぼくの心が弱いからなのか?
それとも、今やっていることがイヤでイヤで我慢できない、とてもわがままなだけなんじゃ?と。
こんなことを、活動レベル=ゼロの暗闇の中で、ぼんやりと考えてたんですが。

この問い↑に対して、これは、とても自分に都合のいい解釈なんですが。
自分の本当にやりたいこと、本当にイヤなこと、心から望んでいること・・とかをぼくの体が察知していて。
それら「本当にありたい自分」を実現できていない「今」の状況に対して、「本当の自分」が拒否していたのが、「うつ」という体と心の反応になって表れたのだと捉えてます。

世間一般に、昔よりも「うつ」に対する理解は進んでいるので。
例えば会社を辞めるにも、理由が「うつ」だと言うと、周囲にやさしく受け取ってもらえて。
変な言い方だけども、物事がスムーズに進んでいきました。

・・長くなりましたが。
ぼくが伝えたかったのは、「うつ」は確かに本人も周囲もしんどいものなのだけれども。
別の見方をすれば、うつは我慢の限界に来た時に訪れる、「進路変更しなさい」という体からの警告、もしくは強制的な救済措置なんじゃないかと。

だから、もしうつになったら、ただただ悲観するのではなく。
流れに任せて開き直って、好きなだけ自然な自分に戻って時間を過ごせばよいのでは?と思うのです。
まあ、シビアな問題として、おカネのことはあるのですが・・。
せっかく「うつ」に対しては、社会も家族も周囲もやさしいので、お言葉に甘えて・・。

そのときのコツは、ぼくは当時、実際にそう思ってたのですが。
そして、これは本人にも家族にも言えることなんですが。
この暗闇の先は、いつか必ず、どこかの光につながってると信じていること。
すべての出来事には理由があると。
きっと、「うつ」は次の場所への扉なのだと。

ただ、次の場所にたどり着くまでには、結構な時間がかかるし、紆余曲折が待ってるんですけどね・・。

FBも含めて、ぼくが「うつ」だと話した時に、「自分も」だとか「自分の家族も」だとか教えてくれた人が予想外に多くて。
そういう人たちには例外なく、心からやさしくいたわってもらったので。
ぼくも何か役に立てればいいなあと思って書きました。

ぴーす・いん・まいんど♪

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