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【教育】日本の歴史感

1930年代に決まったローマ字の綴りを今頃変更すると・・・。

日本には学校教育の中だけではなく、社会の変化に伴わない法律や決め事が多く、本当に参ってしまうことがあります。

特に、子ども達の学習内容が、話題になるもの以外、知らない間に変更になっていて、学校教育とは疎遠となった親の世代と子どもと話がかみ合わないことが多くなっています。

特に、日本史の入試問題を見ると昭和史(戦争)の出題を避けている傾向も感じます。

日本人の悪い癖か習性か、先の戦争の総括をせずに、曖昧なまま先へ進むので、とらえ方が全く違うことになっています。
その影響で、今も進行形の「国歌・国旗」の問題や天皇制などへ踏み込んだ学習を子ども達はできずにいます。悲しいことです。

私が高1の時の高3の卒業式は、生徒会が中心になって、国歌斉唱の際は全員着席して歌わないように決議・強制されました。
中学校まではそういったことはなく、何でそんなことをするのかがわかりませんでした。
天邪鬼な私は、わからないなら今まで通り小学校・中学校と同じようにと、起立したまま国歌を歌いました。
当然、式に参列する全員の視線を浴びることになりました。―私だけではなくクラスメイト数名と他の学年にも数名いました。

式が終わってからが大変で、担任は「よく歌った!」となぜかほめてくれましたが、生徒会役員が教室になだれ込んで来て、1時間ほど罵詈雑言のつるし上げの時間がありました。―それも何を言っているのか当時はわかりませんでした。
その担任はのちに校長まで昇進しましたが、これが教育界のわかりやすい構造かもしれません。

「国旗・国歌」の問題の洗礼を初めて受けた痛烈な思い出です。

結局、世間で「左」と言われる教師の後押しと、生徒会役員の不勉強から来る暴走と、一般生徒の「お任せ=傍観者」が、社会の縮図のようになっていたと思います。

「先生は間違ったことを言わない、しない」という幻想が、真面目な優秀な学校秀才(疑ってかからない)にはあるのだと個人的に感じました。
その後、高2の卒業式は同じだったので、くだらないとズル休みし、自分たちの卒業式はなぜかふつうの卒業式になったので出席しました。
私も傍観者になり下がりました。

今現在も、個人の「思想信条の自由」と「国歌・国旗」という難しい課題を学校では議論せずに大人になった人々で日本社会は構成されています。
それはよいことなのでしょうか。