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共感力が働く瞬間に思うこと

ぼくは共感力が高い気がする。

友人や家族から悲しい話を聴くと、すぐに悲しくなる。
そう言うと、

「結局、他人は他人だし、悲しまなくても。
あなたがどうにかできるわけじゃないし。」

と言う人もいるかもしれない。

たしかにその通りなんだけれど、そもそも、そう考える前に共感しているから、ぼくにとって共感は、頭で事前にストップできるものじゃない。

共感することは、あまりにも自然で、「共感しないでおこう」と制御できるものじゃない。
普段、呼吸を意識しないように、意識せずに勝手に共感してる。

そんな風に、あまりにも自然に共感するから、共感する瞬間って「自分」が溶けてる感じがする。

友人と話していて、「上司から無能って言われて、つらい」と聞いた瞬間に、もう自分の心につらい感情がある。
一瞬で共感してる。
一瞬で「自分」が溶けてひろがって、一気に相手の感情に接続する。

ここでいう「自分」は、ぼくとしては、今、文章を書いている存在のことで、言葉を発している存在。
普段こうやって偉そうに「自分」は色々言葉を発してるけれど、そんな「自分」には制御できない瞬間の1つが「共感」の瞬間だと思う。

そんな共感の瞬間を考えると、ぼくは「自分」っていうのは、けっこう脆いやつだなと思う。

「自分」は「自分」の強さを語るときがある。

「ぼくは簡単に流される人じゃない」
「ぼくは騙されるような人じゃない」
「ぼくは自分だけを信じる」

こんなふうに「自分」が語っているとき、共感の瞬間「自分」が溶ける感覚を思い出すと、「自分」はけっこう脆いから、そんな強さは崩れるだろうなと思う。
脆い「自分」で生活していこうと思う。

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