ノットサティスファイド
自己紹介も何もない、30代、既婚、拗らせている男性の日々の徒然。
2ヶ月ほど前に引っ越しをした。車で20分、骨折の原因ともなる自転車で30分。
一時期片道15キロの自転車通勤をしており、それなりに漕げるつもりである。愛車はFELTのSR71という古いもの。多分7,8キロ先へと引っ越した。
引っ越した近所のスーパーはとても大きい。そして高い。私のような中小のアパレル勤めには少し勇気のいる価格帯。元来の貧乏性という気質も相まり、慎重に品を選ぶ。
そんな中、リカーコーナーに「むむ?」と思わず唸るウォッカが。
「ノットサティスファイド」
プライドだけで生きてきた18歳までの自分は、これといった代表作もなく大学受験に惨敗したつもりになり予備校へ通った。
圧倒的に努力のできない自分は、当然予備校も途中でフェードアウト状態になり、同じく努力のできない仮面浪人を決意していた悪友と毎日意味なくつるんでいた。
まだ時間はある。
そう思っていたが、気づけばM1が終わっていた。19歳。12月。
何もしていない。やばい。
だが、何もしない。比較的得意の科目を勉強して、センター試験を迎える。当然、出来るわけない。自己採点で現役に毛が生えたような成績。
ただ、努力をしたつもりになっている自分は、日東駒専を滑り止めに設定し、最低でもMARCH、あわよくば早稲田の社会科学部と息巻いていた。
生きてる実感もないし、何をしてるかもわからない。自信があるのかないのかもわからない。明確にあるのは努力を怠ったということだけ。しかし、認めたくない、認められない。
プライドのプライドはプライドを高める。
3月入試のFラン相当の大学も落ちた。
生きてる実感の無さが、人生の終わりのような気がした。雪の降る3月だった。
そして20歳、4月。
代表作が欲しい自分は何者にもなれず、そして何かになりたいわけではなく、一縷の希望を胸にもう一年を何もせず過ごす。ストレートに進学した同級生は大学二年生である。
そんな中自分が覚えたのは酒。そしてジャズ。深夜に新進気鋭の日本人ジャズピアニスト、上原ひろみを聴きながらウィスキーを飲み、無理矢理泣いていた。
俺はこんなはずじゃない。
悲劇のヒーローになったつもりだった。
学費を貯めるという名目で深夜のコンビニバイトに勤しみ、何故かfender usaのテレキャスターを購入し、先の悪友とスタジオに入り楽曲を作っていた。
その時は大学に進学し、自分と同じような境遇の人物に会えると本気で思っていた。ありとあらゆるカルチャーや文学に精通し、玉川上水で入水自殺した太宰で共感できるような、そんな人物を求めるために進学するのだ、そいつとバンドを組むのだ。そして売れてやるのだ。と、本気でそう思っていた。
ハッキリ言ってそんな人物はいない。いるはずがない。京大ならまだしも、都内私文でいるはずがない。そしてそんな才能は自分にないし、そんな努力もできない。
自分の詰めの甘さは随所に出る。
1月。今となってはセンターを受けたのか覚えていない。
2月。早稲田を受けたのかすら覚えていない。
3月。昨年不合格だったFラン相当の大学を受けたことだけはハッキリと覚えている。
生と死で言うなら死に近い。試験を受けながら生きてる心地がしない。仮にこれに落ちたら…いや落ちるわけが…という思いだけは覚えている。
結果は合格だったが、補欠合格。
携帯で合否を確認した時に「繰上げ合格」と言うような文言が。想像外の文字に寒気が走った。
努力ができないと言うのは心底病気だ。ギャンブルをやめられない債務者の気持ちがよく分かる。
電話が鳴る。
大学職員からだ。
どうやら辞退者が発生し、繰上げ合格が確定した。
2年間の鬱屈が解放された。悪友に合格を報告した。悪友の方が人生を拗らせていた。
酒を飲んだ。パンクを聞いた。
ナゴムレコードを聴いて、スターリン聴いて、アナーキーを聴いた。
自分を音楽で無理矢理正当化した。
翌月には21になろうとしていた。
その時以来のノットサティスファイド。
相変わらず努力はできない。
つづく。
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