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#10 自分を磨くって何?

治療家として、治療技術の磨き方を少しずつお伝えしようと色々と書いていましたが、最近、大きな気づきがあり、今からお伝えすることが、まずはベースで有るのと、無いのとでは、治療家だけでなく、人生の在り方が大きく変わってくると思います。

私自身も、今、やっとその入口があることに気づいただけなので、まだまだその奥へと入っていないので、今後、自分にどのような変容が起こるのか、ワクワクしている所です。

先にお伝えしておきますが、今回も、絶対に長くなるので、時間がある時に読んで下さいね🙇


◇それって、本当?

今回のタイトルにも書いていますが、自分を磨くという表現って、当たり前のように使われています。私も、良く使っています。そして、必死になって磨き方を学び、磨き続けています。

ここで、最近、こんな問いが、浮かびました。『本当に、磨かないとダメなの?』です。

自分を磨くという表現は、裏を返せば、磨かないとダメということになります。

コレって、本当?

例えば話で、よく取り上げられるのは、宝石です。宝石は、原石を削り、そして磨くことで、輝きます。あなたの中にある原石を見つけて、磨くことで、あなたは輝きますって、言われると、多くの方が納得して、自分磨きに専念します。もちろん、私もそう思っていましたので、必死に自分磨きをしていました。

えっ!でも、本当にそれでいいのでしょうか??

◇宝石よりも天然石

そもそも、宝石という価値を高めるためには、原石をより上手く加工する技術が必要になってきます。それは、宝石をより高く買ってもらうためであり、その価値を決めているのは、商売人や宝石を買う人たちです。

ですが、中には宝石として加工された石よりも、自然のままの形や色の方がより価値が高いとしている人たちもいます。天然石は、世界に一つしかないものであり、天然石の方が宝石も価値が高いとしている専門家も多くいます。

この視点が、今までの自分には欠けていました。気づけば当たり前のことですが、この事実に気づけなくなっているということも、真剣に向き合う必要があると思っています。

◇間違った方向

自分を磨くという表現の仕方が悪いわけではないですが、その意味をしっかりとわかった上で、使うようにしていかないと、間違った方向に進んでしまうと思います。

間違った方向とは、自己否定がベースになった状態です。つまり、今の自分には価値がないと決めつけ、否定し続けた状態で、磨こうとしているのです。この方向では、一時的には、価値を上げることになりますが、次から次へと他に価値が高い宝石が出てくると、その度に、比べ、競い、さらに磨かないといけないという、道を選択し、結果、気づけばボロボロになってしまうこともあります。

さらに、宝石のように磨くのは、どれも同じような商品にしようとしていることにもなります。本来は、形も大きさも、色も違っていたものを、商品価値を上げようとするあまり、同じ大きさ、形、色に無理矢理、加工してしまいます。

その結果、確かに商品として一定の価値を生み出すことにはなりますが、唯一無二の価値にはなりません。

磨く行為が、もちろん悪いわけではないです。ですが、自分の中の何を磨こうとしているのかを、ちゃんと理解した上で磨かないと本当に大切なものまで、加工し過ぎて、元に戻らなくなってしまうこともあります。

◇あなたは、そのままでいい

一番、伝えたいのは、あなたの中にある天然石は、もうすでに最高に輝いているということです。それは、加工すると余計に輝きを鈍らしていることになります。

この前提を、本当に、腑に落としておかないと、いつの間にか、心が疲弊してしまいます。

私のnoteで、お伝えしているのは、まず、心が如何に安定しているか、その本質は、あなたという存在は、そのままでいいということです。あなたの価値づけは、誰にもできません。なぜなら、あなたはあなたでしかないからです。

その心のベースがあって、次に、知識や技術が乗ってきます。何を、自分のベースに積み上げていくかは、あなたが選択することです。

積むモノの一つに、技術というものがあります。積み方も技術でしょうね。
治療家にとって、触るという技術に関しては、磨いていくという作業が必要になってきます。その上で、技術の差や技術を比べるというフィードバックが必要になってきます。

◇存在は評価できない

この技術を磨く過程において、技術を評価され、技術に対して価値づけされます。この時に、知らず知らずに、技術に対する価値づけをされているのに、技術 = 自分 という公式になってしまい。技術が低いことで、比べ続けられると、自分の価値が低いということに、いつの間にか変換されてしまいます。

すると、どうでしょう?
技術を評価されているだけなのに、勝手に自分自身の存在を評価されていると思い込んでしまい、いつしか、評価が怖くなって、しんどくなります。この事実に、私は全然気づいていませんでした。

この事実って、聞けばわかるし、自分ではそんなことないと思ってしまいますが、それが一番危ないんです。

理論的にどれだけわかっていても、体が無意識でそう反応してしまいます。その状態になっているか、本当に気づけていますか??

◇自分に気づく

私は、この事実を知ったので、もうならないようにと受け入れようとしていますが、今までの経験が邪魔をして、どうしても、反射的に体と心が存在を価値づけようとしてしまいます。
 
自分の思考や体の反応を無理に変えるのではなく、まず、そう反応していることに気づき、そして、そう反応してくれている自分に感謝できるかが、今、私が取り組んでいることです。

社会的な評価とは、なんなんでしょうか?
知識や技術を高めるのが、本当に正解なのでしょうか?

自分という、存在について考えることは、心づくりをする上で、本当に大切だと思います。

根本の所で、存在しているということについて、考えると、安心・安全を自分の中で自然と湧き上がってくるような感覚になってきます。この状態を感じながら、人生を歩む事ができれば、最高かもしれません。

そして、人生をどう歩むか?その歩む上で、必要となってくるスキルは、自分で磨いて身につけていければ、前に歩んでいけると思います。

あなたが磨いているのは、あなたが過去に体験してきたものが、汚れや付着物としてあなたの天然石についているものなのかもしれません。そういう意味では、あなたが、あなたの天然石を邪魔しているモノを、磨く必要はあるのかもしれません。
ですが、また視点を変えると、過去の体験などが天然石につくことで、あなたという唯一無二の天然石をつくり上げているのかもしれませんね。

ぐちゃぐちゃになってきましたか?
過去の体験が、あなたにとって大切な要素であるなら、磨いても変化しないとかもしれませんし、もし必要ないのであれば、磨かなくても、気づくだけで、勝手に無くなっていくかもしれません。

結局、磨いた方がいいの?どうなの?って頭の中で混乱しそうですが、伝えたいのは、何を磨こうとしているのか、少し自分と丁寧に向き合って下さいってことです。

考え方に、完璧な正解は、存在しません。自分なりの答えは、自分の中にしかありません。自分なりの答えは、自分と対話し続けることで、出てくると思います。

noteでお伝えしている内容も、私なりの答えであり、正解ではありません。

私なりの答えをヒントに、あなたなりの答えを見つけられたら、幸いです。

いや〜今回も、私の頭の中をオープンに出してみました。
今現在の私の頭の中は、こうですが、時が経てば、違う頭の中になっていると思います。
その記録を残すという意味では、noteを続けていきたいと思います。

気づけば、テーマが少し違っているような感じがしますが、最終的には、つながっていると私は、思っています。

最後まで、読んで頂きありがとうございます。




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