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面影が、よすがに重なってゆく

青々と咲き誇るネモフィラの中に、ぽつぽつと白い子たちもいた。それを見つけた恋人は、幸せを手に掴んだような面持ちで目を輝かせていた。

フィルムカメラを持ってきてよかったと心の底から思った。淡い写真は、今どきスマホのアプリでも簡単に撮ることができるけれど、27枚という制限付きのフィルムに、慎重に、丁寧に、彼女の全てとまではいかずとも、僕が撮ることの出来る彼女を精一杯写すことができるから。昨年と同じ場所、同じ人、同じ一眼フィルムカメラ。一年前をなぞる様に、けれど少しだけ大人になった二人を切り取っていく。花を見に行っても、あくまで主役は恋人だということを僕はネモフィラたちに謝っておいた方がよかったかもしれない。

昨年とは逆方向に一周することにした。昨年はゴールデンウィーク真っ只中に訪れたので人々で賑わっていた印象があるけれど、今年の僕には長期休暇がないため、日程がズレたことでほぼほぼ貸し切り状態だった。賑わっていたあの光景にはそれぞれの幸福が詰まっていて温かかったけれど(気温はほぼ真夏)、風の音が聞こえるくらい静かな花園も、二人の時間を二人だけで楽しめたので最&高だった。
一年前にも写真を撮ったベンチに座ったり、今年はまだ植え替え時期だったチューリップを残念がったり(ちょっと咲いてた)、昨年の二人の面影を探しながらゆっくりと歩いた。

前回も購入したアイスクリームをまた食べた。僕は去年と同じチョコレート&バニラ。去年の彼女はストロベリー&バニラだったけれど、今年の彼女はバニラ単体だった。ベンチに座って、青く揺れるネモフィラを横目にものすごい速さで溶けてゆくアイスクリームと闘った。
僕も彼女も、昨年の写真と見比べるとファッションセンスに磨きがかかっていた。僕の髪は変わらずくるくるしていて、彼女は茶髪から黒髪に変わっていた。ネモフィラも僕たちも一年前と変わらないように見えて、ちょっとは変わっている。変わって、でも変わらない二人のままでいられたら幸せだろうなと。フィルムの残数を気にしながら、そんなことを思った。
恋人の写真はよく撮るけれど、自分がカメラを向けられるのは苦手だ。嫌いというわけではないのだけれど、自分の笑った顔が好きではないからなのか、なんなのか。ネモフィラの前で自然とポーズが取れる若いカップルを見てると、不思議な気分になった。僕はいつでも撮る側にまわって、じっとしない恋人がふと止まった瞬間にシャッターを切るのが好きだ。それでもブレてしまうことが大半なのだけれど、そういう写真に限って僕は好きだったりする。僕だけが可愛い!と愛しくなる写真こそ、彼女の恋人として求める彼女の写真だ。まあ、そもそも他人には見せないけれど。

僕は、またやらかした。昨年もフィルムの巻き取りに失敗して感光させてしまったというのに、今年もまた光を招き入れてしまった。現像した写真の5分の1程度は赤く燃えていて、恋人の眩しい笑顔が薄く消えかかっていた。あの瞬間はもう戻ってこないのに、惜しいことをした。それはそれで淡くて良さもあるけれど。でも、赤く染まっていても、消さない。
晴天の中で空を切っていた飛行機も、青の中の白も、帰り道の睡魔に負けそうな恋人も、時間を切り取ることでいつでも思い出すことができる。

青々とした日常の中から、ぽつりと咲いた白い幸せに気づくことができるだろうか。その花が埋もれてしまわないように、彼女との生活はいつ消えてしまっても不思議ではないのだと自覚して花を積んでいこうと思う。
彼女とまたネモフィラに会いに行けてよかった。毎年の恒例行事にするのも悪くない。来年のネモフィラの時期も彼女と迎えられたら、この上なく幸せだ。

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