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敬老の日をはじめて贈った話。

豊ばあから電話がきた。
電話で話すのなんて何年ぶりだろう。

理由はなんとなくわかっていた。


僕が今所属している会社で実施した敬老の日企画。

敬老の日に、あたたかい瞬間がたくさん起こったらいいなと
願いを込めて実施したこの企画。
こんな動画もつくったりして。


企画を考えながら、
そういえば、僕も敬老の日にプレゼントを贈ったことなんて無かったなあと思い、

がらにもなく、じいばあに贈ってみた。
というか、そもそもプレゼントをしたことすら無かったかもしれない。


何をあげたらいいか、散々悩んだあげく、
玄関の鍵置き用にと、
レザートレーにした。


金曜日の夜、いつものようにビールを飲んでいたら、
いきなりかかってきた電話。

LINE通話以外の電話がかかってくることなんて、滅多にないから驚いた。

市外局番を見るに、たぶん地元。


電話に出ると開口一番、

「りょうやさん、元気かね」
って。

豊ばあの声だった。


なんかよくわからないものが急に届いた。
自分たちのことを考えてくれていてありがとう。
そして、
届いたレザートレーの使い方が分からないという内容だった。


嬉しそうな豊ばあの声と僕のアルコールがあいまって、
会話は予想以上に弾んだ。


あまりにも、豊ばあが褒めてくれるから、
なんだか少し見栄を張りたくなって、

「この企画、俺がつくっただよ!」
「動画とか写真とかコピーとかも俺だに!」

なんて久しく使ってもない遠州弁で自慢をしてしまった。
一人でやった仕事でもないのに。

豊ばあはよく分かってなさそうだったけど、
「よう頑張っただね、えらい、えらい。」

ってまた、褒めてくれた。


豊ばあは夫である豊じい、叔父との3人暮らし。

豊じいは、ほぼほぼ寝たきりだ。
じいと最後にしゃべったのは、2年前。
大学を卒業した時。

卒業証書と教員免許状を持って訪れた僕を、
じいは布団から迎えてくれた。

しゃべったといっても、二言、三言。
かろうじて成立した会話は、風で揺れるふすまの音で、
かき消されてしまうほど、ちいさなものだった。

「やっと先生になるんだな、ようがんばった」

じいのこの言葉は今でもずっと残ってるし、
たぶんこの先一生忘れない。

だって、俺、先生にならなかったから。


地元の進学校に行って、小学校の先生になるという夢を掲げ、
教員養成の名門大学に進んだ俺のことを、
じいは誇りに思ってたんだなあって。


じいの誇りは、必ずいつか達成する。



話が逸れてしまった。

戻れ、戻れ、敬老の日。

近くに住んでいる親戚から、あとになって聞いた話なんだけど、
豊ばあは、俺が送ったレターパックまで大事に取っておいているらしい。

もっと丁寧な字で書けばよかった。


この敬老の日企画。
結果だけ見れば、成功とはほど遠かった。

やれること全部やったつもりだった。
それでも、全然足りてなかった。

でも、心の根っこの部分でこう叫ぶ。
この企画が、
おじいちゃんやおばあちゃんとの思い出が生まれるきっかけになったのだとしたら、
僕は、この企画が成功だったんだと言いたい。

いや、成功だったと言おう。


自分勝手だし、ビジネス視点無視だし、何より販促企画担当として未熟過ぎる結論。

そうだとしても、
見えない誰かの幸せの瞬間につながっているのだとしたら、
僕は、自分の仕事を誇りに思う。

そして、
できる限り幸せの輪を、大きく大きく広げて、
みんなの心がじんわり温まる瞬間を、
僕はこの先も作っていく。

そう決めた。

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