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「痛み」とのつきあい方(後編)

頸椎ヘルニア発症を機に「痛み」について思い巡らせたここ数ヵ月。
肉体の痛み、心の痛み、からの、
今日話したいのは「人間としての、人生の痛み」について。

前編はコチラ↓

中編はコチラ↓


さて。
前編で紹介したこの本。
痛みに朦朧とする中で、
「『痛み』の正体を知らねば、マネジメントできない」とポチした一冊だ。

イテテな日々に苦しみながらパラパラとめくる、あるページに手が止まった。

がん患者の痛みのケアに関して広がった概念、「全人的苦痛(トータルペイン)」
がん患者の3分の2が痛みを経験するといわれるが、その痛みを症状だけでなく「トータルに」とらえることが大事だという考え方だ。

トータルペインは、身体的苦痛・社会的苦痛・精神的苦痛・スピリチュアルペインの4側面にわけられる。

「身体的苦痛」は身体の痛みはもちろん、吐き気やかゆみ、倦怠感などの身体的不快感。
「社会的苦痛」は、病や痛みによって仕事や家事などの活動ができない、社会的な立場を失う、収入減、治療による金銭的問題、人間関係の問題など。
「精神的苦痛」は不安や恐怖、イライラや落ち込み、無力感などで病状や人間関係によって大きく変化するという。
「スピリチュアルペイン」は、適切な日本語訳がないということでそのまま表記されるが、「魂の痛み」「霊的苦痛」と言われ、人生の意味、自分の存在意義や価値についての揺らぎ、「バチがあたって病気になったのではないか」という罪の意識などが入ってくる。

『痛み・鎮痛のしくみ』(マイナビ出版)から一部編集して引用

さて、私の専門外だった「肉体の痛み」だけれど、私が扱う痛みもあるのだ。
それが、中編で扱った「心の痛み」と、今回の、「魂の痛み」だ。

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私はキャリアカウンセラー・キャリアコンサルタントと名乗っているので、基本は「仕事を中心とした人生の悩みを扱う人」ということになるのだが、ところがどっこい。
私のところへ相談にくる個人の方はひと味違う。

まあ、表面上は仕事の悩みのような体で来られたとしても、根底にあるのは「この人生でいいのか」「私の生命が望んでいる生き方とは、どんなものなのだろうか」という問いだ。ある一定の(狭義の)キャリアの形をおさめ、社会的にある程度の状態になって、なお。
いや、だからこそ、ぶつかる問い。

加えて、ここには書けないけれど、相当に大変な、一般的には一生体験しない方が多いだろうショッキングなご体験をされて、人生をどう生きたらいいのかわからなくなってしまう、まさに人生の危殆に瀕する方が「誰に相談していいかわからず、ここにたどり着いた」と仰る場合もある。

また、企業研修登壇後に個人的に質問に来られるケースとして、仕事関連の相談、以外だと「友人が末期ガンを患っていて、なんと言葉をかけていいやら……どうしたらいいんでしょうか」「パートナーが浮気をして、もう仕事どころか生きているのがままならないくらい辛い。どうすれば立ち直れるでしょうか」なんていう質問もある。
研修の内容ではまったく扱っていないにも関わらず。
(そして、そんなことは、たびたびある)
そういう時は、キャリアコンサルタントとして、よりも、山伏であり僧侶である自分の成分を強めにして、対応している。

こういう痛みも、広い意味でのスピリチュアルペインなのだろう。
先ほどの解説の「人生の意味、自分の存在意義や価値についての揺らぎ」の部分。
何も、大病だけではなく、人生における危機、大きな出来事があった時に、誰もが経験する可能性のある痛みなのだ。

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なお、狭義の「スピリチュアルペイン」については今、医療現場に僧侶が関わってケアすることが始まっている。

私は修験の行者(山伏)であるのだが、真言宗の僧侶でもあるため、尼僧のコミュニティに参加して定期的な情報交換をしているのだけれど。

※実はまたここから変化していて、今は私の住む愛知県へ師匠をお招きし、山伏修行の場を開くようになりました

尼僧のコミュニティでは終末期ケアをテーマに対話することが多く、尼僧といっても看護師×尼僧、というような、人の生き死にに関わっている方がメンバーのほとんどを占めている。生々しい話ばかりで、毎回勉強させてもらうことが多い。

加えて、私個人が10年に1度レベルの危機を体験した時に、このコミュニティの対話に参加して癒された経験もある。
「いやあ、ちょっと、大変な状況で……」くらいで、細かなことは何も話さなかったし、尼僧さん達も、細かく聞かないし何もアドバイスしたりしなかったけれど。
その存在に癒された。
いや、正気に戻してもらった。

今の自分の心の不安定な状態、自分を過度に責める状態、自分を過小評価しすぎている状態は、異常なのだということを気づかせてくれ、ハッキリと目覚めさせてくれた。
ただ、ともに居てもらうだけで。
尼僧、おそるべし。
生命のキワに居る人の、柔らかい凄みって、ある。

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心身ともに病でなくとも、こういった危機、そして痛みに見舞われることは、人間やっていると誰しもあるだろう。

前編の最後に書いたとおり。

痛みは耐えることなかれ。
痛みは適切に癒し、人生を勇敢に生きるための材料に変えて、自らに織り込んでいくのだ。


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