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自己紹介~そういえば、番外編。

前回、自己紹介の記事を書きましたが、その中にしれっと
「羽黒山 女山伏」と書いたのですが、お読みくださった方々は華麗にスルーされましたでしょうか……。
私自身も、なんの疑問もなく、書いてそのまま終わり、にしていたのですが、そういえば、そういえば。「山伏」って、そんなに馴染み深い存在ではなかったはず。(ということにもはや麻痺している自分)
ということで、あらためまして、自己紹介、番外編でございます。



1.山伏とは?

山伏とは、山に入って修行をする行者のことを指しています。言葉を足すと、「修験道」というものの、行者です。

修験道は、森羅万象に命や神霊が宿るとして神奈備(かむなび)や磐座(いわくら)を信仰の対象とした古神道に、それらを包括する山岳信仰と仏教が習合し、さらには密教などの要素も加味されて確立した日本独特の宗教である。日本各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって功徳のしるしである「験力」を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教でもある。 この山岳修行者のことを「修行して迷妄を払い験徳を得る 修行して その徳を驗(あら)わす」ことから修験者、または山に伏して修行する姿から山伏と呼ぶ。修験とは「修行得験」または「実修実験」の略語とされる。 wikipedia「修験道」 https://ja.wikipedia.org/wiki/修験道

「宗教」というと、日本では少し色のついた言葉である面が否めないので、私自身としては、宗教というよりも、「道」のものだ、とご説明しています。(実際そうだととらえています)
「茶道」「華道」「柔道」……のように、道を探求して歩み続けるもの、生き方そのものであろう、と。

山伏は、お山に入って荒行をする行者で、自然の中に身をおくことで自ずから気づき学び、その気づきを持って里に帰り、里でもお行をするように生きる者。そんな風に思っています。
(だから、コロナ禍において、三密になるお山での山伏修行ができない環境にありますが、里でも山伏として生きることは可能ですし、狭い意味でのお行=勤行は、基本的に毎日行っています)

修験道は、日本古来の山岳信仰、古神道、仏教、道教……など、多様なものを融合したスタイルで、いわゆる神仏習合です。ですから、お山に入って各所でお祈りする際は、祝詞もお経もご真言も唱えます。
(私の行の師匠は「修験道はあいまいでね、日本らしいんだよ」とおっしゃいます)

明治新政府により神仏分離令が出された際、神と仏が一体となった姿の権現をまつる修験道は、そのもの自体を禁止されました。江戸時代は男子の1000人に1人が山伏だった、とも聞いておりますので、民衆に浸透した存在だったようですが、お山から行者の姿が消えました。
(後に政府が許可し、山伏の先達が残るお山や場では、修行の機会が得られています)

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足もとは、登山靴でもいいのですが、私はいつも地下足袋です。毎回泥だらけになります。

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日本では、富士山はじめお山がご神体で信仰の対象でしたし、お山に入って一度死んで、生まれなおす「擬死再生」の意味を持つ行でもあるのです。
(だから、死に装束の白装束なのです)


こういった、「生まれ直し」の儀式は、日本に限らず各地の先住民族の伝統として残っており、たとえば、母親の子宮を模した小さなドームテント(サウナのように熱い)の中に入り生まれなおして出てくるというネイティブ・アメリカンの「スウェット・ロッジ」というセレモニーにも参加したことがありますが、これも素晴らしい体験でした。

かつては、こういった生まれ直しをするセレモニー(通過儀礼)が、人間の発達・成熟に寄与していたのです。
(以下は、山伏としてトークイベントをした際にご説明したスライドです)

通過儀礼

2.羽黒山って?

修験道は「お山」が信仰の対象で、そこに入らせていただき行をします。日本各地に修験の山がありますが、奈良県の大峰山、石川県の白山、和歌山県の熊野三山、福岡県の英彦山などが有名でしょうか。

プロフィールに「羽黒山 女山伏」と書きましたが、私が正式修行をして山伏の名前をいただいた(「眞苑=しんえん」と申します、以後お見知りおきを。ペコリ)お山は、山形県の出羽三山、出羽三山神社の羽黒修験です。

「山伏です」というと、そもそもご存知ない方も少なくありませんが、「山伏って現代にもいるんだね!」とか(はい、います)、「山伏って女性でもなれるの?」と言われたりします。
仰る通り、山伏は女人禁制ですが、出羽三山神社は、何代か前の神職が「これからは女性の時代だ。女性の山伏も受け入れよう」と、周囲の反対をおして正式修行を受け入れたという歴史がある、と聞いています。


出羽三山とは、名前のとおり3つのお山の総称です。
左から「羽黒山」、「月山」、「湯殿山」。羽黒山は現在(現世)をあらわし、月山は過去(あの世)を表し、湯殿山は未来(来世)を表しています。この三山をめぐり、生まれなおすのです。

山伏


3.なぜ山伏なの?

前回の自己紹介記事の中にある、動画でチラリと触れていますが、雑誌の編集者をしていたころに大きな気づきがあり、「キャリア開発にはボディワーク(ソマティックワーク)が必要だ」という考えのもと、15年以上前から身体知をひらくワークをまずは自分を実験台にして、その後はクライアントにもご提供してきました。(このことについては、私のコンセプトにとって非常に重要なことなので、また記事を書いてご紹介します)

近年ビジネスシーンでブームから定着に至っている「マインドフルネス」も、ソマティックワークのひとつで、私もいろいろな方にマインドフルネスをお教え(というかお伝え)しています。瞑想自体は10年以上前からやっておりますが、マインドフルネスは源流が仏教(禅)だということで、7-8年前から禅についても学ぶようになりました。禅宗の(正確にいうと禅宗、というものは無く、主に曹洞宗の)お坊さん、何人かのもとへ通い、考え方や坐禅を含めたワークなどに取り組み、お坊さんの友人もたくさんできました。

私にとって仏教は、お釈迦様が悩みに悩みぬいてうちたてた哲学であり心理学。多くの人に伝えていける「言語化」が洗練されているものです。また、禅は座ること、寝ること、食べること、歩くこと、お料理やお掃除など、「日常すべてが修行」という考えで、「仏教を特別なものにしない」スタンスだと深く共感しておりました。
その後、仏教について少しずつ学びを広げていった際、密教と出会い、その考え方に共感して高野山に通うようになりました。高野山大学大学院で学びたい授業をとったり、稀なご縁があって高野山真言宗のお寺で在家得度をさせていただきました。

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得度式の写真です。法名・清純といいます。


私にとって仏教の学びは、先述した通り、マインドフルネスをお伝えする立場として、その源流である仏教を実践していたいということ、そしてその洗練された言葉たちを学びたい、というのが動機です。(今も、大学での学びは続けています)

得度と同じ頃……2017年、ひょんなことから友人が体験していた「山伏修行」を知ります。修験道も山伏も言葉を聞いたことがあるくらいでまったく知らなかったのですが、写真を観て「これは私はやらなくてはならないことだ」と直感的に思い、すぐに修行に申し込みました。
はじめての修行で、実は、「死にかける」体験をしました。正確にいうと、「死にかけたと感じた体験」なのですが……とにかく、ものすごく辛い思いをしたのです。

で、その体験によって、山伏になるという選択をするのです。
翌年の2018年、正式修行に参加して山伏の名前をいただき、女山伏になりました。

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私を山伏へと導いてくださった、大聖坊・星野文紘先達と。


ちなみに、「ものすごく辛い体験をして、なぜ山伏に?」とか、「(自己紹介動画にもあったように)体育が苦手なのになぜ身体を酷使する山伏に?」などなどもあるのですが、これはまた別の記事で書こうと思います。
(今回だけでも長文になりすぎる……)



4.山伏として、何してるの?

2020年2月、奈良県吉野郡・天河神社にて。
いかにも山伏らしいシーンのひとつ、護摩焚行のお手伝いにいってまいりました。炎に焼かれる護摩木の前で、ひたすら般若心経をお唱えします。
(見えないけど……写真の左端に、オレンジ色の装束の人が座っていますが、それが私たちです)

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まだまだ私はひよっこ山伏ですから、こんな機会はなかなかないのですけれどね。


もちろん、先述した通り、自宅での勤行は、出張がない限り毎日行っています。(山伏は祝詞もお経も唱えますので、ここで仏教のお行もできちゃうわけです)

山伏は、「半僧半俗」といわれるように、お山で修行する「山の行」と、一般的な生活や仕事(生業)を行いながら修行する「里の行」を行き来する存在です。私にとっての里の行は、キャリアコンサルタントであり、研修講師であり、ライターであり……そしてもちろん、家族にとっての妻であり娘であり……地域の人間であり……ということも、お行として向き合っています。というと、なんだかストイックなイメージになってしまうかもしれませんが、楽しんでいますよ。楽しくなきゃ、生きられない~!



ほかに、「キャリアコンサルタント×山伏」な面を活かし、山伏の行や思想が私たち現代人にどのように活きるのか、「キャリア」という観点でもどのように活かせるのか、なんてことをイベントでお話したりもしています。

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星野文紘先達と。手にはMy法螺貝!

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東京・日本橋のオフィスビルでも法螺貝を吹き鳴らす。
これは、キャリア理論にある「トランジション」という考え方が、山伏修行とどのようにリンクしていて、それが私たち現代人にどのように必要なのか、をお話しているシーン。


お山や自然の中に行くときは、時々、法螺貝持参で。

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アメリカ・アリゾナ州セドナにて。
(裾、変な風に絞ってるのにご注目を!山伏の袴風……笑)
レッドロックのハイキングは地下足袋&法螺貝で。岩の上で法螺貝をふいたら、遠くから何かの楽器が応えてくれました。先住民のホルン系の音だったような。



……とまあ、お話しだしたらキリがなくなりそうで、かつ、私ももっと丁寧にご説明したいトピックスもありますので、また続編を書きたいと思います。今日はこのあたりにて。


5.おまけ

そういえば、話はとびますが、私、温泉が大大大好きで。
「温泉ソムリエ」という資格を持っておりますのです。

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修行のあとの温泉は、サイコーな禊ですのよ^^






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