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「痛み」とのつきあい方(前編)

6月初旬、ある朝。

左の肩甲骨から腕にかけて、鈍い痛みがあった。
なんだか変だな……と思いつつ、その日の用事をこなしていたら、
一日かけてその痛みは増大し、夕方には思わず「いたたたたたたたた」と
声をあげてしまうほどの激痛になっていた。

声を上げたところで痛みはなんらおさまらないのだが、声を出していないと落ち着かない。
脳のほぼすべてを「痛」の文字が埋め尽くすような、激しい痛みだ。

時間が経てばおさまる、どころか、痛みは安定して私の身体に居座った。
肩甲骨を巨人の手で鷲掴みにされ、そのまま引き剝がされそうな感じと、
腕には強い電気ショックがビリビリと流されているような感覚が同時に、
そして緩急ありながら絶え間なくやってくる。

15年前くらいに罹患した帯状疱疹が私の人生イチ痛かった体験だったのだが、それに匹敵するものだった。

つまり、人生イチ、痛い。

その夜は、いつもの半分くらいの時間しか眠れなかった。
(ちなみにその次に痛かったことで思い出すのは、全身麻酔で手術する際に、その準備としてお尻に打った筋肉注射。打たれながら泣いた)

翌朝、寝不足でボンヤリする頭の霧を切りさいて、
「とにかく、この痛みをなんとかせねば!」と叫んだ(心の中で)。

我慢したって、時間が経ったって、痛みは1ミリもおさまっていない。
いや、痛みの単位として「ミリ」が適切なのかはよくわからないのだが、
気持ちは「1ミリもおさまらない!!(泣)」だったのでこのままとする。

ベッドに横たわったまま、「痛み」を専門とするペインクリニックを
ネットで探した。


隣町のクリニックを発見。
「予約制」とあったのを「今日、とにかくできるだけ早い時間に診てほしい」と電話で懇願して駆け込んだ。
その日、他者とする仕事が入っていなかったのが幸いだった。症状を話すと神経ブロック注射を打ってくれた。腕の神経にアプローチする注射だ。

1ミリも効かなかった。


絶望しながら家の薬箱をあさり、以前、歯医者で処方してもらった
ボルタレン(痛み止め)を飲んだ。


1ミリも効かなかった。


そして、その日の夜も、いつもの半分の時間しか眠れなかった。
おーい。どうすりゃいいの。


翌朝。激痛発症3日目。
変わらない痛み。「寝れば治る」なんてことはまったく無い。
実はもともと、背中と首の不具合を診てもらうべく、
整形外科の予約が入れてあった。
予約の日まであと1日。
私にとってはアクセスの悪い病院だったので、諸々考えると家族に
車で送ってもらえるスケジュールまで待つしかない。
「今日できることは何か」、ベッドの中で必死に考えた。

肩甲骨と腕がこんなに痛む。
整形外科かもしれないが、ほかの病気の可能性はないのか。
大動脈解離を体験した人からは、予兆として「背中に激痛が走った」と
聞く。心臓に関する病気で、腕に症状が出ることもあるようだ。
万一、に備えて、循環器科にもかかった。

心電図、異常なし。
「心臓の病気じゃないですね」とドクター。
ですよね、と私。

その夜。痛み、1ミリも減らず。

またしても、いつもの半分しか、寝られなかった。


激痛発症4日目。整形外科受診の日。
ドクターに症状を話すと、MRIを撮ることになった。
が、そのクリニックには設備がないため、提携病院で撮り、数日後に診察することとなる。筋膜リリース注射を打ってもらう。


1ミリも効かない。


同時に、神経の痛みに作用する薬(リリカ)を処方される。

何をやってもおさまらない痛みが、今日も私の左腕に居座っている。
痛みの何がすごいって、すべてを奪っていくことだ。

やる気も、生きる気力も、心の明るさも。
何もやりたくないし、生きていたくない。
終わらない痛みは、気力を奪う。

なんでもいいから、この痛みから解放してくれるものと出会いたい。
それでも仕事などはあるので、この4日間はずっと、自分の意識集中の先を思い切り絞り込んで、痛みから少しでも気を逸らすよう努めてきた。
その時は、やる気がまあまああって、生きていくつもりの私になった。
それ以外の時間は、すべての電源はオフにした。

整形外科に行き、処方された薬を飲んでも痛みがまったく治まらなかった、その夜。
(山伏なので)夜の勤行でお経や真言を唱えていたら、呂律が回らなくなった。
いつも暗唱している真言が、何度やっても度忘れしてしまい、出てこない。
日課の日記を書いていても、書きたい文字が書けない。
もともとうまくないけれど、今夜は過度に文字が下手だ。
そのうえ、書きたい言葉と違う言葉を書いてしまう。漢字も思い出せない。

なにこれ怖い。


翌朝。まだ、時々呂律が回らない。文字も汚い。
さすがにおかしいと家族が心配して、
彼の友人である脳神経外科のドクターにお願いして診てもらった。
緊急でMRIを撮り、「腕の痛みはまれに、肺の上の方の疾患で出ることがあるから」と念のためにCTも撮った。

モニターに画像を映しながら、ドクターは言った。

「おそらく、頸椎ヘルニアですね」

痛みは、頸椎から2ヵ所はみ出した椎間板が、
神経の根元を押していることが原因であろう。
呂律や文字は、リリカの副作用だと推察される。
(ので服用をやめた。そしたらおさまった)

激痛が始まって5日目。やっと診断がくだった。
日曜日の夜だったので、あらためて脊椎専門のドクターに会って治療方針を決めるべく、再度この病院へ出向いた。

やれやれ。診断名がついた。
……からといって、痛みがおさまるわけではない。
脳神経外科の脊椎専門ドクターからは、首をなるべく動かさないことを指導され、カラー(首輪みたいなやつ)をいただき、研修にも登壇。

最初はつけず、自己紹介中に装着してアイスブレイク……(笑)


ちなみに、タリージェという薬に変えたけれど、これも私には合わなくて服用をやめた。

「頸椎ヘルニアになった」と言ったら、
友達が勧めてくれたオムロンの低周波治療器。すぐ購入して出張先にも持参


結局、私にとって一番効いたのは、神経ブロック注射だった。
(最初に行ったクリニックでは効果が無かったけれど、再度探して出かけた別のペインクリニックの注射が劇的に効いたのです)

みるみる痛みがよくなり、発症1ヵ月後にはほぼ痛みは無くなり、
筋肉のこわばりが気になる程度になった。
今回の件で、私にとっての神は、
この、二軒目のペインクリニックのドクター。
6日に渡り、少しも変わらなかった激痛を、
1回の注射で半分まで下げてくれ、その後、
3回の注射でほぼ痛みをおさめてくれたのだから。

この、頸椎ヘルニア激痛騒動を、周囲の友人や仕事仲間、
公式LINEのお友だちにシェアすると、様々な「痛い」体験を聞かせていただいたり、有難いお見舞いの言葉もいただいた。
※公式LINEはコチラです


私は出産未経験なので、「出産よりは痛くないんだろうけど……」と
言うと、経験者は「でも出産は、6日も続かないから」と笑う。確かに。
アニサキスの激痛、を体験した友人は、「わかる。痛くて消えたくなった」と、内視鏡で引っこ抜いたというアニサキスの写真を送ってくれた。
アニサキス、小さい体で人間の生きる気力をかっさらう。恐るべしだ。


今回の体験で学んだことは、
「痛みは耐えるな、早く取れ。後のことはそこから考えろ」。

6日間も激痛に苦しみ、這うようにして生活する中、
(そもそもこの「痛み」とはどんなシロモノなのだ……相手を知らねば、マネジメントできない)
とヨレヨレした指で『痛み・鎮痛のしくみ』という本を即、ポチした。

読んで、そして体験してわかったのは、「痛みは、悪循環を引き起こす」「痛みを長引かせると慢性化してしまう」から、「痛みの我慢は役に立たない」ということ。
今後、何かまた、激痛に見舞われるようなことがあれば、
基本的には真っ先に痛みを取ることを選択しようと決めた。

<「痛みの悪循環」とは>
痛みが生じる→交感神経が興奮→血管収縮・心拍増加・血圧上昇・筋肉緊張→局所の血流が低下→組織が酸素不足に→発痛物質放出→痛みが生じる……の無限ループ
<「痛みの慢性化」とは>
痛みの刺激が繰り返し入力されると、その伝達に関わるニューロン(神経細胞)に可塑化が起こる。痛みの刺激に過敏になり、少しの刺激でも痛みが生じることになり、慢性化しやすくなる

出典『痛み・鎮痛のしくみ』(マイナビ出版)

そして。
専門外のこの本を読んでいる中で、ふと手を止めたページがあった。
私の専門領域にも、「痛み」はあるのだ。次はそんなお話から。

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