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「食いだおれ」の本当の意味

毎週書くと決めていたnoteもお休みしてしまい、先日、久しぶりの海外旅行に出かけました。オーディオもエンターテインメント設備も何もない機体だったので、旅のお供に本を2冊、持参しました。

京都人が書いた「大阪」

ひとつはこの本、『大阪的「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた』です。『京都ぎらい』を書いた京都人(といっても洛中の人からすれば、あそこは京都じゃない、と呼ばれるところの出身)で、人文学者の井上章一氏が、産経新聞の大阪版で連載していたコラムの総集編になっています。メディアが伝える大阪像はどうしてかくもステレオタイプなのか、私がnoteを始めた時の問題意識と似ていると思い、手に取りました。

いわゆる「大阪のおばちゃん」というのは、テレビを中心とするマスコミが作り上げたものだという、本のタイトルにある話だけでなく、阪神タイガースは読売ジャイアンツの“永遠のライバル”のようなポジションをとっているけども、実は敵対するどころかコバンザメのように読売に取り入っていたという業界裏話、そのほか、大阪がどのような歴史的背景で発展し、また、衰退していったのか、またそれが大阪文化にどんな影響を与え、京都や神戸との違いが生まれていったのかの推察もあり、初めて知ることも多い内容でした。

グルメだから食いだおれる

この本の中で著者は、食いだおれの街・大阪を代表する食べ物がたこ焼きになっていることを嘆いています。“あんなファーストフードで破産などするはずがない”というのです。本来、「食いだおれ」という言葉は、食事に贅をつくして料亭にツケがたまり、破産に至るような状態を指していた、そのくらい大阪の人は美食家なのだ、と。思い返してみると、大正生まれの私の祖父は、「鶴橋市場のXXで売っている“う巻き”が美味しいんや」だの、言ってたのを覚えており、食べものの好みにうるさかったのは確かかもしれません。大阪には美味しいものがたくさんあるはずなのに、“大阪はたこ焼き、美味しい和食なら京都”のような風潮がある現代を嘆いているのです。

そして京都生まれの著者は、こう証言してくれています。若い頃「あそこの料理おいしいやろ。板前さん、大阪で修行しはったんやて」と何度か聞いたことがある、あの「排他的で自尊心が強い京都人」も、食文化については大阪を敬っていた、というのです。

半世紀前までは、京都の板前さんは大阪に修行しにきていました。これは以前、私もいくつかの割烹にお邪魔して聞いたことがありますが、現代の和食、つまり日本料理として完成させたのは、「吉兆」の創業者である湯木貞一さんで、和食の発祥は大阪であるという話です(京都は精進料理)。「船場吉兆」の賞味期限改ざん事件で、その名を汚してしまったのはとても残念でした。

大阪はもっと和食を誇るべきなのに、粉もんのイメージが先行してしまっているのは確かに不本意な状況です。最近では、大阪の和食文化をアピールする動きもあり、商工会議所や観光局が、ぐるなびとタイアップして割烹をフィーチャーした企画ものを展開しています。こういう活動はがんばってほしい。

和食発達には昆布がキーポイント

さて著者は、なぜ大阪で食文化が発達したのかを、大阪湾がある地理的条件や、全国から食材が集まる供給の条件が良かったという解説をしていて、工業化や輸送技術が発達したことにより、大阪と京都の差が縮まったと説明しています。私としては、もうちょっと昆布のことを書いてほしかったと思っています。

大阪の土産物で塩昆布が売られているのを見たことがあるでしょうか。私は大人になるまで、塩昆布が大阪名物と知りませんでした。大阪で和食が発達したのは、この昆布がかなりキーポイントになっています。

江戸時代、西廻り航路が開発され、大阪には北海道から良い昆布が届きました。大阪・北浜には「神宗(かんそう)」という、江戸時代から続く昆布屋さんが今もあるくらいです。関西の水は軟水で、昆布の旨味を引き出すのに適しており、カツオと合わせた美味しいダシを作れたのです。この「ダシ」と「新鮮な食材」という、良い料理の基本があったことが大阪のアドバンテージになりました。ちなみに関東は火山灰の影響でやや硬度が高く、昆布と相性が悪いのだそうです。

そして、グルメの血をひく

粉もんのようなファーストフードもあれば、ダシと新鮮な食材をつかった本物の和食もある。旨いのは当たり前、「安くて旨い」じゃないと流行らないのが大阪かなと思います。ここでいう「安い」は、絶対値として安いのではなく、品質と相対して安いということです。本当の意味で「食いだおれ」るわけにはいかないけれど、エンゲル係数が高い我が家。確実にグルメの血をひいているようです。

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