マガジンのカバー画像

インドネシア駐在編

12
運営しているクリエイター

#この街がすき

南海の楽園でイスラム教

南海の楽園でイスラム教

ジャカルタの朝は、町内のイスラム寺院から拡声器で流される「アザーン」で始まります。男声の張りのある高音で朗々と唱えられます。始めは「コーラン(クルアーン)」の一節を朗誦しているのかと思いましたが、「アザーン」は、「コーラン」では無く、礼拝堂に来て朝の礼拝を行うように誘う為のもので、アッラーを褒め称え教徒の義務を果たすように呼びかけます。

ここで、お断りしておきますが、私は「イスラム教(ムスレム)

もっとみる
インドネシア華僑の悪知恵

インドネシア華僑の悪知恵

最近、ミャンマーで起こった軍事クーデターによって、日本を始め諸外国から資本進出して現地工場を立ち上げた会社は、改めて不安定な政治体制の国に資本進出するリスクを噛み締めていると思います。特にアウン・サン・スーチーが政権に返り咲いて、アジアの中で最も将来性がある投資先として脚光を浴びていた矢先の出来事です。

母国の政府がいざというとき何かしてくれるの?アメリカの企業が理由も無くインドネシア政府に接収

もっとみる
インドネシア華僑の知恵

インドネシア華僑の知恵

私がジャカルタに赴任して来て驚いたのは、取引先の80%が、中国系インドネシア人の経営する会社だったことです。得意先が100軒あるとすると、80軒が中国系、10軒がインド系、8軒が日系合弁、最後の2軒がプリブミ(ピュア・インドネシアの人)でした。

この2軒も潰れました。

少し黒字になったときに社長がベンツのセダンを買ったのがいけなかったのです。

当時、総人口1億6千万人のこの国で、中国系の人は

もっとみる
インドネシアでの生活

インドネシアでの生活

クトゥア エルテイ (町内会長さん又は町内の長老)
家族が日本からやってきて、家を1軒借りてジャカルタ生活が始まりました。
早速、黒田生活指導員の指導に従って、町内の「クトゥア エルテイ」(町内会長さん)に菓子折りと3万ルピー(7500円ぐらい)のお金を包んで挨拶に行きます。

眼鏡をかけた中年の男の人がニコニコして出迎えてくれました。
(お金や物を貰って、怒り出す人には会ったことがありません。)

もっとみる
未完の大国:インドネシア

未完の大国:インドネシア

日本帝国陸軍の残したもの。
 私が赴任した37年前のインドネシアは、オランダ東インド会社の植民地として西暦1602年から約340年間支配されたあと、第2次世界大戦による日本軍の3年半に及ぶ占領とオランダ支配からの開放、スカルノ初代大統領による独立の達成、最初、社会主義的な傾向を持って始まり、後に独裁政権化したスカルノ時代を経て、軍部のクーデターによるスハルト軍事政権の成立等々、建国後33年目の若い

もっとみる