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「幸福」 男と女の春夏秋冬

アニェス・ヴァルダの「幸福」を鑑賞。前観たのはいつだろう。10年前?20年前?いつだったかは思い出せないけど、主人公の男に対して全く感情移入できなかったということだけは覚えている。

写真は 2015 年 8 月に北海道で撮影したひまわり畑。この映画の冒頭に映し出されるひまわりをイメージして現像し直してみた。

改めて観てみると色々な発見のある映画だった。

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どの場面も画面構成が洒落ていて、色使いがとても鮮やかで印象的だ。いかにもヌーヴェルヴァーグの映画という雰囲気。そしてそれが季節の流れに応じて徐々に変化していく。

色合いだけではなく、音楽もまた印象的な効果を与えている。冒頭、まるで観る者の記憶に植え付けようとするかのように冗長に流され続ける長調の管楽五重奏。この音楽は、家族の幸せを象徴するテーマであり、不倫の逢瀬の場面で流れることはなかった。が、次第にこの音楽がその場面にも流れ始めてしまう。この音楽は「家族の幸せ」ではなく「夫の幸せ」を象徴していたのだろうか。妻を失った後の生活を彩る音楽は、急激に短調の弦楽に一変する。が、映し出される映像は、季節と妻が変わっただけの、よくある家族の幸せな風景のままだった。

夫、妻、そして不倫相手の女性。それぞれが「幸せだ」という言葉を口にする。夫は二人の女性を愛することが幸せであり、妻は現状のままの家族生活が幸せであり、不倫相手の女性もまた現状の関係に幸せを感じていた。結局、どの「幸せ」も最終的に崩壊する。

前回鑑賞したとき、僕はこの主人公を「鼻持ちならないフランス野郎」程度にしか考えていなかった。理屈で不倫を肯定する。嘘をつかないこと、正直であることを免罪符にしようとする。それは当時の僕には到底理解できないことだった。だからそれは僕の知らない世界、すなわち「フランスという国ならでは」という解釈へと着地したのだった。

しかし、幸か不幸か、その後僕は実生活で「罪悪感と無縁な人間」との接触を何度か経験してしまった。結局、僕にとってはそれがこの話の焦点となってしまう。

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妻が不倫を容認したら飛び上がって喜んだこの男の姿に、僕は直接知っている何人かの男の顔が透けて見えた気がした。

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