きわダイアローグ10 手嶋英貴×向井知子 5/7
5. 生命の閾値
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向井:昨年比叡山を案内してくださったときに、自然の厳しい場所にいると自然のことを考えている暇がないとおっしゃっていましたよね。ゆっくりと寝ることが幸せなくらい自然の中での生活は厳しいものだということや、人間が自然の営みをしようとすると人工的なものがつくられていくといったことがとても印象に残りました。そして、一見話が飛ぶように思えるかもしれないのですが、手嶋さんに死生観について伺いたいと思ったんです。
「きわ」という言葉を考えたときに、水ぎわ、山ぎわ、みぎわ……といった自然の「きわ」については、このプロジェクトのなかで、いろんな方と話をしてきました。ただ、「きわ」は、死にぎわや今際のきわといった使い方もします。それから、「際」という字自体は、神さまのはしごを意味するこざとへんに「祭」と書きますよね。神さまが瞬間に降りてくる祭壇のイメージがあるのでしょう。それは、死生観みたいなものとすごく関わっているなと思ったんです。
手嶋:「きわ」というのは有限だからこそ生まれた言葉ですよね。有限だからこそ、人間は際限にあたる部分にきわを感じたり、見出したりするわけです。
向井:そうですね。死生観というと、一般的にはどうやって人間が死を迎えるかというような話になりがちですが、今、それとは違うことを考えています。近代文明のなかで、人間が物事の捉え方を直線上の有限のものとして捉えるようになったことで、初めて、生と死、表と裏、初めと終わりがあるという考え方になっているような感覚があるんですね。
例えば、映像は、よくリニアな時間軸の芸術と言われるのですが、わたし自身はそこにすごく違和感をもっています。イメージの問題と、時間の問題を有限の時間の問題として一緒に考えることにずっと違和感がありました。
人生のなかで何回か、生と死の問題を一緒に感じる瞬間がありました。一つは、子どもの頃、俯瞰しているような生命感が肉体としての自分に降りてきて、自分の命に限りがある物質的生命を同時に感じたとき。二つめが子どもが生まれたとき。そのときは、よくあるような、赤ちゃんが生まれて柔らかく晴れやかな感じよりも、生と死みたいなものを一体に、普通に同一のこととして感覚的に捉えた瞬間があったんです。それが何かというのはまだ自分の中で明確ではなかったところはあるのですが、当時の作品にも反映させながら考えていました。出産の際に死を同時に感じたということに関しては、先日同じようなことをおっしゃっている女性がいました。それから、今年に入ってからも、身近に死を感じる機会があったんですが、そのとき屋久島に行ったときのことをパッと思い出しました。屋久島には老木や倒木がたくさんあり、それらの木々を個体で見ると死んでいる状態だといえます。老木自体は死んでいても、そこにさまざまな植生が生命として育まれているのを見たときに、生の寝床だなと思ったんです。老木を死と考えると、それをベースに、これから生まれたり、育まれたりする生命が眠っている。そこにあるものは、閾値のきわを超えると生命として捉えられるけれども、またある閾値を過ぎると寝床に戻っていくようなイメージが湧いたんです。ウイルスを見ていても、活動未満のときは発症しないですよね。近代文明のなかで、生命に対する捉え方が、直線上の何かの有限のもの、あるいは、表と裏といった二元性で捉え始めたことによって、バランスが取れなくなったんじゃないかなと思うんです。
手嶋:死ぬとそこから先のことはわからないですが、ともあれ今の自分っていうのは終わります。しかし向井さんが言うように、倒れてしまった木はそれで終わりなのかというと、そうではない。有機的に分解されて、次の生命につながっていくという意味では、はっきりと「もうここで終わり」とパッとなくなるものではないと思うんです。
向井:その寝床みたいな場所からある閾値を超えたものが、生命として成立している。そう考えると、直線上の、それ以上の成長みたいなものはいらないのかもしれないと思うんです。生きるために生命はここから出ようとはするけれど、有機的な寝床のところから、飛び出たり、沈んだりというイメージが、今年になってから急に出てきました。すべては世界の捉え方とも関わっていると思いますし、きわには実は、そういう生命感が含まれるんじゃないかなと思っています。
手嶋:仏教的に言えば、人間の本質は過去からのつながりです。過去からの積み重ねの上に、現在の考えや行動がすべて生まれます。積み重ねてきた経験に対する記憶や、その記憶に基づいて考えること、行動すること、そういう一連の流れや過去からのつながりが「自分」です。たとえ肉体が存続して息をしていても、それがパッと消えてなくなったら、それまでの自分が途切れてしまったと言えると思うんです。今の自分のあり方に対して拒否的な気持ちになって、自分で亡くなろうとする人が世の中にはいますよね。肉体的に死ぬことをしなくても、薬を飲んで、記憶喪失みたいな形で、今までの自分の記憶に基づく認識のつながりや流れが全部途切れさせてしまえるのであれば、ある意味で苦悩の解決と同じ価値をもつかもしれませんね。
向井:記憶が積み重ねられていく限りは、アイデンティティがあるということですね。アイデンティティのことで言うと、ヒルシュが、90年代にはいつも中心に「わたし」があったんじゃないかと言っていました。テクノロジーのあり方についても「わたし」が新しいテクノロジーを使うことによって、そこで起きていることを伝えるということが主体だったのではないかと。そういった90年代の精神は、90年代に学生だったわたしたちの思考的にも、あるいは身体的にも刷り込まれていると言うんです。一方、今の世界で起きている環境問題や政治的な問題に関しては、「わたし」を出発点にすると解決しないことがたくさんありますよね。なぜなら、わたし自身にはそれ以外に優先することがあるとか、大きな問題に取り組んでいる暇はないとか、同じテーブルにつけないことがたくさんある。少なくともそれが大切なことはわかっているけれども、そう思うだけでは、世界で今起きていることは、解決できなくなっている。それをどうつなぐのかが結構大きいんじゃないかと言っていたんです。
手嶋:昔だったら国家の中枢のエリートだけが考えていたような世界規模の問題を、一般の人が考える必要性がでてきたのはこの20年くらいですよね。今や環境問題は全地球的な問題ですから。あまりに広すぎるにもかかわらず、一部のエリートが考えているだけでは解決しない問題に直面しているなんて、わたしたちが学生だった時代とは状況が大きく変わっているのは確かですよね。
向井:自分に落とし込まないとものの見方として変わらないのではないかと思う一方で、ヒルシュが言うように、そういう考え方自体が90年代的なのかもしれません。
前回ドイツに行った4年前の時点でも、ドイツでは環境の話が毎日普通にされていました。やっと日本でも報道されるようにはなりましたが、やはり数年単位で遅れています。
社会や個人にとってのウェルビーイングとは何かと考えると、結局は世界の捉え方だったり、死は何か生は何かみたいな話から始めたりしないと全然解決しないですよね。昔の人間は知識として持っていなくても、それに対する感受性を持っていたような気がしています。なぜなら、危険がもっと多くて、自然の中で生きるか死ぬかについて考えていたから。体得している感受性で、こうしないと怖いとか、こうしないと生き延びられないとわかっていたと思うんです。死がベースにあって、そこから生命を維持すべく、閾値を超えたところをなんとかつくるために、一生懸命毎日の生活をしていた。そういった、生命としての危機感や感受性を社会的に共有せず、頭でっかちに問題だけを出していても、変わることは難しいだろうと思っています。
手嶋:ドイツでは、ベルリンのような大都市でも電車に乗って10分もすれば森の中を走っていますよね。それから、ドイツの人は都市に住んでいても、ちっちゃな家庭菜園を持っている人が多い。同じ近現代世界にいながら、ドイツと日本では生活の中での自然との関わりがだいぶ違うのだと思います。ドイツの普通の人たちに比べると日本の普通の人たちは、生活の中で自然に関わる経験を持つ機会が少なくなっている。ドイツの人たちと比べて、環境についての問題意識がなかなか高まらない要因の一つなのかなという気がします。平面的なインターネットみたいなものが居住地や生活のスタイルを変えることによって、日常生活の中で、何らかの形で自然と接触しながら生活する人が増えてくることは、すぐの解決にはならないですが、問題意識の広がりを生み出すためには大事なことなのではないでしょうか。
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