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昨日の世界

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文章を書くこととアイディアを出すことを毎日するために、 #昨日の世界 を書き始めました。Wordleを解いて、その言葉から連想される物語を、解くのにかかった段数×140字でその日…
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2023年3月の記事一覧

パンと見せ物

 トラックの荷台から引き摺り出されてきたのは男と女だった。どうやら、夫婦らしい。 「扉を開け放て」  ハンスが言うと群集たちはわっと車に駆け寄って扉を開け、いや、扉をはぎ取ってしまった。中には焼けたパン、小麦粉、そしてパン窯があった。そのままの勢いで群集は荷台の中に雪崩れ込もうとした。 「待て!」  ハンスの声で群集は動きを止め、ぐるっとトラックと夫婦を取り囲んだ。  荷台に登ったハンスは窯を蹴って言った。 「これはなんだ?」  二人は答えなかった。 「これは、なんだ?」  

ヌーの「ボス」とハイエナたち

 セレンゲティに一頭の巨大なオグロヌーがいた。ヌーの成体は体長1.8mから2.4m、体重は150kgから270kgが相場だが、この個体は体長3mを超え、体重は350kgにもなろうかというもので、遠くからでもその姿が見分けられた。地元の人にはただ「ボス」と呼ばれていたが、それもそのはずで、その個体の行くところにヌーの群れがついて移動するのである。  そして、その移動は大きな被害をもたらしていた。  それだけ大きい個体だから何しろ強い。襲いくる肉食獣たちを蹴散らし、時には殺した。

蘇る桜

「こちらはそろそろ開花しそうなんです」  案内していただいた部屋の培養ケースには一本の木が収まっていた。 「これは何というか種類の木なんでしょうか?」 「こちらは、サクラ、です」 「サクラ、ですか」 「正確に言えばCerasus × yedoensis、ソメイヨシノ、と呼ばれていたものです」 「これも絶滅したんですか?」 「ええ。こちらについては、このDNA配列を持つ樹木は全て人工絶滅させられています」  しばしの沈黙の後、木下記者が口を開いた。 「それは、どうしてなんですか

第3次世界大戦の武器は分かりません。しかし、第4次世界大戦の武器は…

「guano! guano!」  皆が一斉にテントから外に飛び出した。見張のファレルが西を見ているということは、東に向かって走ればいい。天蓋の下の2台の車を持ち上げ、車体を東に向けた。  遠くの空に小さく点が見えて来た。 「すごいな」  ブルーはつぶやいた。自分も見張りをしているから耳には自信があったが、ファレル程ではない。 「ブルー、行くぞ」  助手席のバートに言われて、慌ててブルーは運転席に乗り込んだ。今日、後ろにいるのはビッグスとベイツだ。 「まず北に15度で向かう。1

輝く地球の中から外へ

「それじゃ外しまーす」 「はーい」  結び目を外すと風船がすーっと上がっていく。 「いいねいいね」  広い荒野にぽつんと佇んでいるギルは動かずにじっと風船の行く方を見ている。ギルと風船との距離はどんどん離れていく。風船は一度上がると帰ってこない、取り返しがつかない。その、首の後ろから冷たい手を入れられているような感覚を、ゲイリーは毎日求めるようになっていた。目眩がしてくらくらする足元がなくなる感覚だ。  1,000、2,000、3,000m。もう、双眼鏡を着けないと見えない。

輝く地球の中で

 部屋に入ってへたりこんでしまった。今日は疲れた。いつもより、疲れた。いつも、いつも、いつもより疲れる。  扉のアラームはもうだいぶ長い間鳴っている。これ以上大きくなる前に閉めないと怒られる。体が動かない。めんどくさい。誰か、誰か。ぐぐぐっ、しゅーっ、扉が閉まる。顔の横にハンドルが来たから、どうにか縋り付いて回していく。1,2,3,4,5。ハンドルに顎をもたれ掛けさせて、また、休む。  地球に人が住めなくなって何年も経つ。ずっと前に投票があって、地球を捨てて宇宙へ出ていくこ

輝く地球

「カズ、もうちょい右手下げて」 「はいはい」 「はい、せーの!」  ゆっくりと、8本の手がブロックを下ろしていく。こちらで持っているカナメの姿は見えても、向こうの2人は30m先にいるからどうなっているかいまいちわからない。  ブロックがモルタルに乗るグニュっという感覚が宇宙服越しに伝わる。 「はーい!」  今回も、正確に、ブロックはつながった。初めての面子とはいえ、全員がプロだった。カンは満足だった。 「じゃあ、休憩にしましょう」  はい、わかりました、了解です、と3人の声が

マスコット

ー焼け跡から見つかったパンフレットに書かれていた文章の抜粋である。誰かの発言らしい。  …ですから、私たちを代表するような、ということは、国を代表するようなマスコットが必要なのであります。今、私たちを代表する、代弁するようなマスコットが一つでもあるでしょうか。ございません。それはなぜか。思想がないからであります。思想がないとは強い言葉です。しかし、まさにそうなのであります。思想があるとは何か。それは、人が生きるに必要なものであります。  ここで申し上げておきますが、私たちは

浮き立つ心

「あー、あー、だめだ、あー」  居間に戻ると祖母がまだテレビを見ていた。野球の世界大会に日本が出ていて、負けている。自分が見ているとこのまま負けそうな気がするからもう見ないと言っていたのにチャンネルは変えていない。 「お布団、上げておいたよ」 「ありがとう」 「また冬になる前に来るから、絶対に、下ろしちゃダメだからね。危ないから。わかった?」 「大丈夫よ」 「大丈夫じゃないから言ってるんでしょ」 「そう?」  祖母は動きの勘が鈍い。体育教師だった祖父とは大違いで、すぐに転んだ

チキンレース

「ようようようよう、ひよってんじゃねえよ」 「ひよってんのはおめえだろ、黄色い嘴のひよっこどもがよ」 「そういうお前の脚はなんだ? ぷるぷる震えて千鳥脚じゃねえか」 「なんだと、鶏冠に来たぞ」 「そんなこと言って腰が引けてんじゃねえか、このチキン野郎」 「うるせえなこの鶏ガラ野郎。てめえこそなんだ、目が涙目になってんぞ」 「ぴいぴいうるせえなあ」 「それはこっちのセリフよ。ほら、飛ぶぞ、飛ぶぞ!」  そう言って、鳥たちがばっと飛び立った。そして私が歩いている先の少し先に飛び立

最後の日を包み込む

「今度は何?」 「…ちょっと待ってね」  まあ、よくもそんなにポケットに入っているものだ。財布、携帯、鍵、ハンカチ、ティッシュ、薬が入っている小さなポシェット、メンソレータム(メンソレータム?)、カロリーメイト。 「何がないの?」 「傘袋」  式が終わるくらいの時間に雨が降るのは予報が出ていたので、誰もが折り畳み傘を持っている。秋山君も片手に傘をぶら下げている。 「傘袋、すぐ無くなるよね」 「秋山さん、本木さん、おめでとうございます」  笹沼君、白木さん、棚橋さんが来てくれた

空腹の祈り

CREDO IN UNUM DEUM PATREM OMNIPOTENTEM FACTOREM CAELI ET TERRAE VISIBILIUM OMNIUM ET INVISIBILIUM.  どうしてもお腹が減る。貪ってはいけないというのはわかっていると言う以上にわかっている。けれど、本当にご飯が少ない。あのパンだけでは満たされない。どうにかして、今すぐ、パンを食べたい。 CREDO IN UNUM DEOMINUM JESUM CHRISTUM FILIUM DE

瓶の船と虎

 海岸の夜明けです。海の遠く遠くから太陽が昇ってきます。でも、まだ夜のひんやりとした空気が濃紺の空の下には残っているようです。  海岸を1匹の虎が歩いています。何か面白いものが流れ着いていないか、毎朝、この海岸にやってきて探して回るのです。  今日も色々なものが落ちています。綺麗な丸い石、色々な色の貝殻、奇妙な形に曲がった木。  その中に、瓶の中に入った船がありました。虎は一眼でそれが人間のものだということが分かりましたが、それが何かはわかりませんでした。面白いと思った虎は、

今の心臓事情

 ありとあらゆる戦士がこの女神に心臓を捧げてきた。勝利を祈願し、牛馬や人、時には自身を生贄としてきた。血生臭い祈りを捧げられる女神の呼び名は歴史以前から現代まで様々変われど、女神そのものの存在は変わらない。 「人の心臓は?」 「今日はございません」 「そうなの。じゃあ、牛?」 「はい」 「牛ももう慣れてきた」 「さようでございますか」 「今の人の心臓を食べるよりマシかも知れない、パサパサしてないから。もっと血潮に満ちた、プリプリの、引き裂くと血が溢れ出るような、そういうのばか