ヌーの「ボス」とハイエナたち

 セレンゲティに一頭の巨大なオグロヌーがいた。ヌーの成体は体長1.8mから2.4m、体重は150kgから270kgが相場だが、この個体は体長3mを超え、体重は350kgにもなろうかというもので、遠くからでもその姿が見分けられた。地元の人にはただ「ボス」と呼ばれていたが、それもそのはずで、その個体の行くところにヌーの群れがついて移動するのである。
 そして、その移動は大きな被害をもたらしていた。
 それだけ大きい個体だから何しろ強い。襲いくる肉食獣たちを蹴散らし、時には殺した。それも、集団でライオンやブチハイエナの住処を襲い家族ごと踏み潰す。一時はライオンの頭数を2割も減らしたと言われている。
 また、農園の網を破るばかりでなく、家も踏み潰すから人死まで出る。やむにやまれず駆除しようとしても注意深くかつ他の個体に囲まれているので銃も届かない。
 被害総額を受けてタンザニア政府が駆除に乗り出した。
 人海戦術は全く通用しなかったので、選ばれたハンターたちが少しずつ追い詰める作戦に切り替えた。しかし、どうしても逃げられてしまう。まるで蜃気楼を追っているかのようだった。
 とある月の無い夜、ハンターたちは火も炊かず闇夜に紛れてオグロヌーの群れに近づいていた。風下である。音さえ立てなければ、あるいは。
 一人が立ち止まった。
「つけられてる」
 ハンターたちは岩陰に隠れた。突然、あたりに生臭い息が満ちた。
 それはブチハイエナたちだった。彼らはハンターのいる岩陰を取り囲んだ。しかし、襲う気配がない。むしろ、何かを求めているらしい。
 ハンターたちが静かにヌーの群れの方に移動し始めると、ハイエナたちもついてきた。
「敵討だ」
 一人がつぶやいた。ハイエナの1匹がハンターのリーダーの足に体をつけて一緒に歩き始めた。
 突然、ヌーの咆哮とハイエナの叫びが入り混じった。しかし、リーダーの足元のハイエナは歩みを止めない。
 突然、リーダー目の前に巨大な岩が現れた。いや、違う、これは。
 ハイエナが足元から離れた。信じられないほど大きなヌーの咆哮が聞こえた。リーダーは静かに銃弾を放った。
 翌朝、横たわる「ボス」の首筋に噛みついたまま死んでいるハイエナがいた。
「思ったより小さいな」とリーダーがつぶやいた。
「いやいや、史上最大かも知れないんだぞ」
「違う、ハイエナの方だ」
 ハンターたちは「ボス」の回収は諦めた。車に乗せることができなかったからである。また、ありとあらゆる肉食獣が集まってくるのが見えたからでもある。
 半年経ってから骨だけは回収しようと再びその場にハンターたちは訪れたが、もはや何も残ってはいなかった。

beset/取り囲む

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