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いしきたちのいくところ

 ロバートはタバコの箱を受け取ると先ず中をあらためた。紙に巻かれたタバコが5本入っている。

「おい、婆さん。そりゃねえだろ。ちゃんと代金払ったんだから7本いれてくれよ」

「ありゃ。数え間違えたかねえ」

 タバコ屋の老婆はしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして言った。

「いいから残りの2本よこしな」

 老婆はしぶしぶ2本のタバコをカウンターに置いた。誤魔化そうとしていたのは明らかだ。ロバートは一本を箱に収め、もう一本を咥えて火を点けた。紙巻きのタバコは古い文化で、普通は電子タバコをダウンロードする。しかし根強いファンがいて今だにこうやって売っている。体に悪い文化というのは無くならないものなんだなと思った。

 ここはゴミ処理島のドリームシティ。ここで暮らす人々は工場でゴミを元素に分解して売ることで生計を立てている。

 工場に行く前にこうやってタバコを買うのがロバートの日課になっていた。この後同僚のサントスの部屋に行き連れ立って出勤する。サントスはメキシコマフィアの元一員で電子麻薬から人身売買までありとあらゆる犯罪に手を染めていた男だ。それでいて根が明るく歌がうまい。ロバートからすればただの気のいいやつだった。

 そのロバートの部屋に入った途端ロバートは咥えていたタバコを落とした。サントスがベッドで死んでいた。誰が見ても一眼で死んでいるとわかる。ベッドは血で真っ赤に染まっていたし、なによりサントスは額から上が無くなっていた。レーザーメスか何かで切り開いたのだろう。本来内側に収まっているべき物がなくなり、切り離された頭部がペットの餌入れのごとく床に転がっていた。ロバートは部屋から転げ出るとその場に朝食を全て吐き戻してしまった。

 ロバートはサントスと仲がよかったこともあり、顔役のオーキーやゲン爺にいろいろと話を聞かれたが、答えられることは何もなかった。サントスの部屋にはサービスAIが入っていたが、型は古いし映像記録は壊れていて何も記録されていない。いつ誰がサントスを殺したのか手がかりは何もなかった。

 確かにサントスはアウトローである。国で犯罪を犯してこのドリームシティに逃げるように流れて来たに違いない。ロバートだって同じようなものだ。それにしたって、こんな狭く汚いアパートの部屋で殺されるなんて。しかも頭部を切り開かれて脳を取られて死ぬなんて哀れすぎると思った。暗い部屋の淀んだ空気の中に横たわるサントスは、この世の不条理を全て集めた象徴のように見えた。

 その日、ロバートは気分が悪いと言って仕事を休んだ。実際気分は悪かった。あんなひどい死に様を見て気分がいいはずがない。だからといって寝ていて気分が良くなるものでもない。ロバートは自分の部屋には戻らずしばらくゴミ処理島の中をあてどなくうろついた。だが結局気が晴れることはなかった。仕方なく飲みに出かけることにした。

 アリスのバーに行くとゲン爺が一人で飲んでいた。ゲン爺はロバートを見るといっぱい奢ろうと言ってくれた。

「あれから何か分かったのかい?」

「いや、何も分からん。アリスにも見てもらったんじゃが……」

 言葉の歯切れが悪い。

「本当に殺人なら現場に強い思念がエネルギー場として残るものなの。でもあの現場にはそいうったものがなかった」

 代わりにアリスが答えた。

「どういうことだい」

 アリスは話すべきかゲン爺に視線を送った。ゲン爺がいいだろうと頷いた。

「もしかしたら、あれはサントスの望んだ結果だったのかもしれないわ」

 そんな事があるのだろうか。頭を割られて脳を取り出してほしいなんて思う人間がこの世にいるとは思えなかった。

「なんだかますます気分が悪くなった。帰るよ」

 ロバートは早々に店を辞すると、どこにも寄らずに部屋に戻り頭から毛布を被って寝てしまった。

 翌日、目が覚めると頭の奥の方で頭痛の種がずきずきと疼いていた。飲みすぎた覚えはないので風邪でも引いたのだろう。今日も仕事は休みにしようと思った。あまり休んでばかりいるとその分手取りが減ってしまうが仕方ない。ロバートは再び毛布を被って目を閉じた。頭痛で頭が疼いたが疲れているのか幸いすぐに眠ってしまった。

 再び目が覚めると昼過ぎだった。頭痛はどこかへ消えていた。調子が良くなったみたいなので食事のために立ち上がると、待っていたかのように脳天から首筋まで鋭い痛みが走った。

「ちくしょう」

 今度は横になっても痛みは消えなかった。ドリームシティに病院はないし風邪薬なんて持ってない。部屋にある唯一の薬といえば隠し持っているウィスキーくらいだ。だがリアルなウィスキーは貴重品だ。この程度で飲むわけにはいかない。しかしサントスのことを思い出してすぐに考え直した。ドリームシティは政府の目が届かない島だから全て自由だ。その分全てが自己責任である。だからここの人間の寿命は短い。そしてウィスキーは天国には、いや多分天国には行けないから地獄の方になるだろうが、どちらにも持っていけない。

 ロバートは戸棚の奥から一本のウィスキーを取り出した。丸い撫で肩のボトルに貼られたデザインラベルには鬼の腕を抱える老婆が描かれている。そしてラベルの隅には『あかし』の文字。少し前に知り合いから譲り受けたものだが、ほのかにワイン香がするところが気に入っていた。ロバートはグラスに半分ほど注ぐと一気に飲み干した。強いアルコールが喉を焼いた。こんな飲み方をしていたら香りもなにもあったものではない。すぐに体が熱くなり頭痛が遠のいていくのが分かった。きっと明日には治るだろう。

 夜半に目が覚めた。頭痛がしたがそれは慣れ親しんだ頭痛、二日酔いだった。気分は悪いが満足だった。刺すような頭痛は消えていた。きっと朝にはよくなるだろう。二日酔いには迎酒と決まっている。『あかし』のボトルに手を伸ばした時だった。視界の隅に見えたものに慄然として伸ばした手が止まった。暗い部屋の中に誰かがいた。その人影は暗がりの中からじっとロバートを見つめていた。

 ロバートは慌てて毛布を頭からかぶってベッドの上で丸くなった。そんなはずがなかった。ここにいるはずがない。どう考えてもありえない。だが、確かにロバートは見た。見覚えのある姿が部屋の隅に立っているのを確かに見たのだ。

 やがてその人影はゆっくりと近づいて来た。毛布の中からでもそれが分かった。

 止めろ。止めろ。止めろ。俺に近づくな。

 心の中で何度もそう叫んだが人影はすぐそばまでやって来た。そしてロバートの耳元に顔を近づけると、

「こっちにおいで」

 と囁いた。

 ロバートは恐怖で身動きが取れなかった。人の気配はしない。だがそれを確認する勇気はなかった。じりじりと時間がすぎていく。頭がぼんやりとしはじめると、耳元で囁かれた言葉を思い出す。神経が鋭敏になり物音が気になった。やがてまた頭がぼんやりとし始める。その繰り返しを明け方まで続け、やがて疲れて眠りに落ちた。

 次に目覚めたのは昼過ぎだった。毛布が剥がれていたので目を開いた瞬間に部屋が見えた。人影はなかった。頭痛も消えていた。きっとあれは頭痛のせいに違いないと思うことにした。

 部屋を隈なく見てみる。どこにもそれらしき人影はない。緊張を解いたその瞬間だった。どこからともなく声が聞こえた。

「おいで。こっちにおいで」

 ロバートは耳を塞いだ。それでも声は聞こえてくる。

「おいで。こっちにおいで。ここはいいところだ」

「止めろ」

 ロバートは部屋を飛び出した。飛び出す際に開き切る前のドアにしたたか肩をぶつけ、勢い廊下に転げた。あたりにはチラシが散乱している。そのうちの一枚を無意識につかんでいた。チラシには「あなたも完全意識で苦痛のない夢の生活を」と書かれていた。

「ふざけるな」

 ロバートはチラシを握りつぶして投げようとしたが、再び声が囁きかけてきた。

「やめてくれ。お願いだ」

 ロバートは駆け出した。

 気がつけばアリスの店に来ていた。アリスが心配そうな目を向けて来た。よほど焦燥した様子なのだろう。

「なあ、俺に取り憑いているやつを祓ってくれ」

 アリスの顔が一瞬こわばった。

「それは無理よ」

「なんでだ。俺には霊が取り憑いている。間違いない」

「いいえ。あなたには何も取り憑いていないわ。私に見えるエネルギー場はあなた自身のものよ」

 アリスはその右目で光学レンズでは見えないものを見ることができた。もし誰かの霊が取り付けば、特徴的なエネルギー場の形になる。その形を見間違えることはない。

「間違いないわ」

「じゃあ、俺が見たものは何なんだ。聞こえる声は何なんだよ」

「何を見たの?」

「頼むよ。もう限界だ。ママが俺を呼ぶんだ。こっちへ来いって」

 ロバートの母親は何年も前に怪しげな宗教団体に勧誘され、言われるままに財産を収めた。そしてある日、神の一部になると言い残していなくなった。その宗教団体が作る完全意識に自らの意思で意識融合してしまったのだ。意識のなくなった身体は闇業者がやって来てばらばらにして売り払ってしまった。その宗教団体は解散してもうない。完全意識を構築していたサーバは廃棄され、母親がどうなったのかもわからない。

「悪いけど、私にできることは何もないわ」

 ロバートは気落ちした様子で出て行った。

 ロバートが帰ったあとアリスが片付けをしていると丸めた紙が目についた。気になって開いてみると完全意識の勧誘だった。まずいと思った。アリスは店を飛び出してロバートのアパートに向かった。階段を駆け上がり狭い廊下に飛び出すと、奥の階段に逃げる人影が見えた。タバコ屋の老婆だった。老婆は脇に金属製の容器を抱えていた。ちょうど人の脳が入るくらいの大きさだった。

 慌ててロバートの部屋の扉を開けた。

 そこには頭部を割られた無惨な姿のロバートが横たわっていた。ロバートの脳は持ち去られていた。

 アリスは老婆を追った。アンドロイドのアリスの足ならすぐに追いつく。そう思ったが老婆には一向に追いつけなかった。人を避け、角を曲がり、階段を飛ぶように降りた。それは常人の脚力ではない。だがアリスの右目には老婆が人間のエネルギー場を持つように見える。

 アリスたちのいるドリームシティはもともと巨大船をいくつか横並びにして作った海に浮かぶ島だ。島の内部は船室が並び複雑な廊下が縦横無尽に広がっている。そして今、老婆は船内の狭く複雑な通路を信じられない速さで疾走していた。

 アリスはゲン爺たちと連絡を取り合った。ゲン爺たちが通路を塞ぎ少しずつ老婆を追い詰めていった。

 やがて老婆は行き止まり突き当たり完全に逃げ場を失った。

「もう逃げられないわ」

「近づくな。近づいたらこいつをばらまくぞ」

 老婆が透明なカプセルを突き出した。中に緑の透明な液体が入っている。老婆の頭上では空調ダクトが空気循環をする音が響いていた。

「それは何?」

「ナノロボットウィルスじゃよ。こいつは視覚回路に悪さをする。感染すると幻覚を見るようになるのじゃ」

「まさかロバートは」

 老婆が気味の悪い声で笑った。

「そうさ。サントスもそうじゃ。毎日毎日幻覚に苦しみ、それが頂点に達した時に救いが欲しくなる。そうなったら救いの手を差し伸べてやるのさ」

「完全意識で苦しみのない夢の生活。彼らは自らの意思で完全意識に意識融合したというわけね。それじゃあ思念など残るはずがない。その後あなたがやってきて」

「ゆっくりこいつをいただくのさ」

 老婆が脇に抱えた容器を示す。中にはロバートの脳が入っているはずだ。

「脳を盗んでどうするつもりなの」

 それには答えず老婆が逆に質問してきた。

「あんたの右目にあたしはどう見える」

 アリスの右目は老婆が人間のエネルギー場を持つように見えている。だが先ほどまでの疾走を考えればそれはありえない。筋力強化したとて出せるスピードではない。

「まさか」

「そのまさかだよ。あたしの」

 老婆が首を傾げる。

「ここでは人間の脳細胞が純粋培養されてる。そいつがあたしを人間に見せるのさ。なんでって顔をしてるね。そんなこと末端のアンドロイドが知る訳ない。Mシティの連中が考えることなんて興味もないしね。ただ完全に人間に見えてコントロール可能なアンドロイドが街中に溢れる世界。連中にとっては制御しやすい世界だろうね」

 老婆は再び気味の悪い声で笑った。

 そこまで聞ければ十分だ。アリスは老婆に詰め寄る。

「来るな。こいつを割るぞ」

「好きにすればいい」

 躊躇する様子のないアリスに、老婆は戸惑った表情を見せたが、すぐにアリスが止まらないと悟りカプセルを床に叩きつけた。

 カプセルが粉々に砕けて緑の液体が飛び散った。液体は揮発性であっという間に蒸発していく。蒸発して分子レベルになったナノロボットウィルスは空調ダクトに吸い込まれていった。

「これで街中の人間が完全意識に融合するだろうね」

「それはどうかしら。いまごろウィルスは海の上で感染相手がいなくて困ってるんじゃないかしら」

「空調を切り替えたのか」

 アリスが跳躍した。

 次の瞬間アリスの腕は老婆の顔面を突き抜けていた。後方に突き出した手には脳の培養容器が握られていた。

 老婆がこの島にやって来たのはつい最近だ。他に最近やってきた人間はいない。人間に見えるアンドロイドかもしれないが同じことだ。おそらく老婆は実験的に送り込まれたのだろう。 

 サントスの脳も老婆の部屋から見つかった。楽にしてやれというオーキーの一言で、二人の脳は老婆の培養された脳と一緒に燃やされた。形だけだが供養されたことになる。彼らの意識は完全意識に融合している。実際は天空に浮かぶサーバ衛星ジュノーにいるのだろう。そこが本当に苦痛のない場所なのか知る由もない。完全意識から戻る人間はいないし、完全意識に問いを発しても、悟り切った禅のような回答しか得られないからだ。

 まれに、空にジュノーが浮かんでいるのを見つけると、アリスは譲り受けた『あかし』をグラスに入れて窓辺に供えた。ただ彼らが幸せであることを祈るばかりだった。

         終

『あかし』のゴーストシリーズは『ウイスキー・ライジング』の著者、ステファン・ヴァン・エイケン氏と山岡秀雄氏が選定して作ったボトルです。ラベルには月岡芳年の『老婆鬼腕を持去る図』が描かれていてゴーストシリーズにぴったりの見栄えになっています。

『あかし』自身は江井ヶ嶋蒸溜所の日本酒樽とバーボン樽で3年熟成した原酒をカルベネ・フランの熟成樽で1年以上熟成させてフィニッシュしていますので、ワインの香りがほのかに香る出来上がりになっています。さまざまな樽で熟成させることで、複雑さが増していそうですね。きっとラベルの絵を眺めながらのいっぱいは格別な味わいでしょう。

 さて、今回のお話はこの『老婆鬼腕を持去る図』からの着想です。作者は月岡芳年という浮世絵師です。この絵の他にも合戦図や鬼婆を題材にした血生臭い絵も描いているようです。この絵に描かれる老婆は茨木童子が姿を変えたもので、渡辺綱が切り落とした茨木童子の腕を、伯母に化て取り戻しに来た話を描いた絵です。この絵があまりにインパクトが強かったのでなんとか話に盛り込めないかと考えました。茨木童子の背後には酒呑童子という怪物がついています。お話の中の老婆の背後にはMシティという謎の街がついています。彼らの目的はいづれ明らかになっていくことでしょう。

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