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迷ったら、観覧車に乗って。 #創作大賞感想


「願い」と「祈り」の違いってわかる?

と、祖母から訊かれたことがあります。そのときはうまく応えられなくて。祖母は「うふふ。」と笑ったあとに

「自分で考えなさい。」

と、言ったきり、その違いを教えてくれませんでした。それから祖母は、答え合わせをする前に他界したので、私は、この問いが宿題のようにずっと頭の片隅に残っていました。そして、ときどき片隅から取り出してじっくり考えてまた元に戻して、を繰り返していたらあるとき、答えがポトリと滴下されたような気持ちになりました。

「願い」は利己で「祈り」は利他なのではないだろうか。

そう思いました。「願い」は自分のための行為で、「祈り」は他者のための行為。それぞれが未来へ想いを託すことです。叶うのかわからないけれど、「願い」や「祈り」で、人は未来への希望を見出してきたのかもしれません。

私にとってこの答えは、ギフトだなあ、と思っていました。


𓆸𓆸𓆸


私はゼロの紙さんがご執筆された『迷ったら、観覧車に乗って。』を拝読後に号泣しながら、心ではやわらかい希望でいっぱいになりました。






私は、拝読後、言葉を失くしたのですが、出てきた言葉は、すごい、というシンプルな言葉でした。この小説は、すごいのです。奥が深くてたおやかで、読んでいると騒めいていた心が静かに凪を迎えます。色や、匂いや、手触りや、衣擦れの音や、人の温度を感じることができる小説です。美しい描写にスーッと没入しました。

私は、読み始めから小夏さんと一緒に旅をしているようでした。

一緒にブラッドオレンジの夕陽をみて、ジェリービーンズみたいな観覧車の青いのに乗って、富士山ってつぶやいて、ポストへ届く四葉のクローバーに驚いて、LINEが届くと胸が締め付けられて。

小夏さんの思い出される記憶には常に爽さんがいました。それは、はっきりと明記されています。


じぶんよりも好きな相手がいたら生きられる。
わたしにとってはそれが「爽」だった。


人を亡くすと、心へ穴ができます。ぽっかりと空間認知できるほどの大きな穴ができて、そこへ風がびょうびょうと吹きつけます。人が立っていられなくなるくらいの風が吹いて、その穴へ落とそうとします。

私にもその穴があるのですが、ときどき、自分から吸い寄せられるように穴の縁を歩くときがあります。ギリギリを歩きながら哀しみに呑み込まれそうになるのですが、必死で堪えます。なぜ堪えるのかわからないのです。それは、生きるためなのでしょう。なぜ生きるのかもわからないのにその穴へ堕ちることに抵抗するのです。

小夏さんもその穴の縁で必死で踏ん張っています。油断すると、ふと、落ちてしまいそうになる不安の中にいるのに、その姿はグッと力を入れて堪えているように見えました。

けれど、この小説に登場する、開さん、百合子さん、コバッチ、源さん、歩さん──登場人物たちとの温かい出逢いが、ひそやかに小夏さんの消え入りそうな生活に色をつけていきます。その温かさに支えられながら、しっかりと歩いていきます。

そして、私は、物語の最後で強く祈りました。

どうか、どうか、どうか、小夏さんが幸せでありますように。

願いにも似たその祈りは、いつか届くと信じています。眼から熱い希求をこぼしながら、そう思いました。

そしてこの小説は、ひび割れた心へじわーっと沁みる未来への希望であり、ギフトでもあると思うのです。

生きていると、苦しいことや悩ましいことの方が多いですが、この小説はそっとひび割れた心へ寄り添ってくれる作品です。

私は、この小説を自分の定点観測としてこれからも読んでいこうと思います。

超、頗る、めっっっちゃ、ごっつい、マンモス、おすすめしたい小説です。心へポッと灯る火のような温かい小説を、ぜひ、お読みください。









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