見出し画像

なぜ神はファラオに怒って魚を殺したのか?息子からの質問

子供と聖書物語を読んでいたときの話。

キリスト教教育について

一応、妻も私も広義のキリスト教徒なので、子供たちにはキリスト教教育を施している。私個人としては、彼らがカトリックになろうが、プロテスタントになろうが、よく考えて無神論者になろうがそれでいいと思っているのだけれど、親がセム系宗教の教養を持っているなら、言語や数学と一緒に継承しておいて損はない。私自身、宗教に関する知識がこの世で生きていく上でとても役に立つということを知っている。(あの世でどうかはまだ知らない。)

プロテスタント育ちの自称スピノザ主義者である私は、「知識の習得」ということについては持論がある。知識には2種類ある。ひとつはデカルトやニュートンが言うような科学的・実証可能な知識。1+1とか「我思考せり、故に我あり」みたいのがこの種の知識。

それとは別に、ある過程や訓練を経た上でないと習得できない知識というのがある。ドラクエの魔法使いがある程度のレベルに達しないとベギラゴンやイオナズンを覚えないように、あるいはスポーツにおいて基礎の動きをマスターしないと複雑な技を覚えられないように、知識にもそういうものがある。学問としての哲学や歴史学というのはまさにそういうもので、最低10年くらいかけてやっと主だった思想家たちの概念や考え方が整理できて、自分も自由に使えるようになるという性質のものだ。

私は聖書の知識に関しては、ある程度の高さ(低さ)にいることを自覚している。いろいろな細かい矛盾点、内部の異なる言説、そして異なる書物の間の伏線なども知っている。それは何千回も牧師の説教を聞き、子供の頃から繰り返しあの分厚い本を流し読み、あるいは通読・精読し、自分よりも詳しい人達と問答してきたからであって、初めて読む人や子どもたちに細かい話やら教義のことを話しても混乱するだけだ。

だから、初心者の人たちや子どもたちには、大まかな全体の流れと、それぞれの書物や主要な登場人物の人生の要点を抑えるように勧めているある箇所を読むときは、全体のどの辺りの話か、主要な登場人物はどのような人か、どのような背景で書かれた書物かなどを、(面倒かもしれないけれど)いちいち説明してあげることにしている。

うちの下の子は4歳で、一年くらい前から子供用の聖書を読み聞かせている。全体像を理解するには至っていない。けれど、モーセの人生、ダビデとゴリアテの戦い、ヨナ書の内容を大まかに語れるようになった。

ここから先は

1,702字
アジア研究、特に東南アジア研究の前線の話がかじれます。 それから、大手の出版局・大学出版局から本を出すことを目標にしてる人たちには参考になる内容があると思います。良い研究を良い本にするためのアドバイス、出版社との交渉、企画書の話など。

きしぉう博士が書いたアジア研究や歴史学関連の2020年10月から2021年1月までの有料記事の全てが読めるマガジンです。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

よろしければサポートお願いします。活動費にします。困窮したらうちの子供達の生活費になります。