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【読書】シェイクスピア喜劇 新訳3選

皮肉の利いた軽妙洒脱な会話、押韻が織りなす美しい台詞。
ページをめくると、古典であることを一瞬で忘れる、そこは普遍的なユーモアと深い人間理解に彩られた世界。

今回は、シェイクスピアの喜劇を3つご紹介する。
いずれも、2013年以降に新訳が出版されている。

シェイクスピア作品は読みづらい印象があるかもしれない。台本形式の独特な文章構成への馴染みのなさ、注釈の行き来の煩わしさが、その要因だろう。

この点、新訳は大変読みやすく、作品の面白み(内容面も技巧面も)を感じ取りやすいように工夫されている。
(実際に、これら3冊の翻訳をなさった河合祥一郎さんは、後書きの中で、新訳における試みの一つとして英語の押韻をすべて日本語で表現したことを述べており、その魅力について触れておられる。)

家で過ごすことの多いこの時期に、シェイクスピア体験はいかがだろうか。

「お気に召すまま」

本作品は、侯爵の姪ロザリンドと紳士オーランドーとの恋に端を発した喜劇だ。ロザリンドの急場しのぎの芝居が物語のアクセントになっている。

◇◆

ロザリンドは、偶然見物したレスリング大会でオーランドーと出会い、2人は互いに一目惚れする。
だが、公爵から父親を追放された過去を持つ彼女は、ほどなくして自身も追放を言い渡される。居場所を失ったロザリンドは、男装して従姉妹のシーリアと従者の道化を伴い、父が暮らしているというアーデンの森へ向かう。
オーランドーもまた、自分が追われる身と知り、町を出て森へ向かう。

ロザリンドは森の中でオーランドーと鉢合わせる。泥まみれの風来坊の中身が自分であることを知られたくない羞恥心と、彼の想いの丈を試したい誘惑との間で葛藤し、彼女は正体を誤魔化したまま芝居を打つ。

◇◆

本作品の大きな魅力は、随所で繰り広げられるユーモラスで洒落っけのある会話だ。滑稽さと気高さが見事に同居している。

一部だけ、その会話を引用してみたい。

まずはロザリンドがシーリアに自身の恋心を訴える場面。

ーああ、シーリア、私がどんなにどっぶり恋にはまっているか知ってるでしょ!私の恋は、ポルトガル沖の海溝みたいに、底が知れないの。
ーというより、底が抜けてるんでしょ。あなたがどんなに愛情を注ぎこんでも、下から漏れてる。
ー私、オーランドーがいないと耐えられないの。あの人が戻ってくるまで、木陰を探して溜め息をついているわ。
ー私は、寝ようっと。


オーランドーもまた、森の木々にロザリンドへの想いを書きつけ、旅路で出会った紳士を呆れさせる。

ー今後は恋歌なんぞを貼りつけて、樹皮を傷つけないように願いますよ。
ー僕の歌を下手に読んで、歌を傷つけないように願います。
ー「ロザリンド」でしたかな、あなたの恋人?
ーええ、そうです。
ー気に入らん名前だ。
ー名前をつけたとき、あなたのお気に召すようにとは考えなかったんでしょう
ー背の高さは?
ーこのときめく胸のあたり。


「から騒ぎ」

本作品は、表題通り、から騒ぎがから騒ぎを呼ぶ喜劇だ。

一方ではいがみ合っている男女をくっつけたい思惑が、一方では愛し合っている男女を引き離したい思惑が錯綜する。

登場人物たちが騙し騙され、それぞれのペアが恋や嫉妬の魔法にかかり、勘違いが連鎖し、加速していく。

◇◆

紳士ベネディックと、知事の姪ビアトリスは、共に結婚はしないと言い張っては互いに憎まれ口をたたきあう。だが、実は相性がいいのではないかと踏んだ周囲が、二人をくっつけようと画策する。ベネディックもビアトリスもまんまと引っかかり、互いに真剣に相手を想うようになる。

以下は、騙されている時のベネディックの独白だ。

ーまじめに話をしていた。ビアトリスがかわいそうだと言ってた。夢中で愛しているらしい。
ビアトリスは美人だと言う。それは、そのとおりだ。証言できる。そして徳高い。そうだな、否定はできない。
そして賢い。俺を愛したことを除いては。いや、俺を愛したからといって愚かだということにもならんだろう。だって、こっちだって、めちゃくちゃ愛してしまいそうなんだから。
独身を貫いて死ぬと言ったのは、まさか結婚するまで生きているとは思わなかったからだ。

一方で、恋仲にある、貴族クローディオと知事の娘ヒアローに対しては、仲を裂こうとする力が働く。
二人の仲を好ましく思わない人々の謀略によって、ヒアローの浮気がでっち上げられる。

最後はすべて明るみに出るが、そこに至るまでの登場人物たちの誤解や妄想が、すべての事情を知る読み手からすると時に愚鈍でなんとも可笑しい。


「夏の夜の夢」

本作品は、結婚式前夜に、妖精のいたずらとその手違いによって一騒動起こるという喜劇だ。

貴族の娘ハーミアは、恋人のライサンダーと許婚のディミートリアスの二人から求婚されている。
一方、ディミートリアスの元恋人ヘレナは、未だに彼への恋心が消えない。
そんな四角関係の中に、妖精が惚れ薬を誤用して、ライサンダーとディミートリアスはどちらもヘレナに夢中になってしまう。

◇◆

ストーリーの愉快さもさることながら、会話には韻文がふんだんに用いられており、詩的で美しい。

韻文の多用は、シェイクスピアの初期の頃の作品にみられる傾向なのだそうだ。

例えば、惚れ薬を使われたディミートリアスはこんな具合だ。

ああヘレナ、女神よ、妖精よ、聖なる人よ!
君の瞳を何に警えようか、愛する人よ。

水晶なんか泥だ。ああ、その唇、まるでキスするサクランボ。
そそるように熟している。ああ、掻き立てられる、この恋慕。

東風に吹かれてトルコの高嶺に白く固まる雪とても、
君がその白い手を挙げれば、とても。


最後に

ー不朽の名作は存在するが、不朽の名訳は存在しない。

村上春樹さんの言葉だ。

裏を返せば、各時代で、その時代に生きる人々の表現にぴったり寄り添うような訳が存在するということなのだろう。

あるいは、訳が新しくなることによって何度でも、自分たちの共通言語でその時代に(たとえば中世ヨーロッパにだって)、容易にアクセスできるということかもしれない。


mie





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