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ポートランド×7月×元彼

先日、神戸の元町にある生地屋に生地を買いに行きました。大阪で育った私にとって、神戸はいつでもいける街という印象で、33年の人生をかけてスルーしてきた街ですが、知らない街を歩くのはやはり楽しいものです。目当ての生地屋に寄った後、もう少し散歩してみようかなと思った時、ふと感じたんです。あの人がいれば、神戸はもっと楽しい、と。

あの人とは、私が昔付き合っていた元彼です。今は友達みたいになったその人を「元彼」と呼ぶのは心もとないので、ここでは彼のことを、彼の好きな野球チームになぞらえて鯉吉〈こいきち〉と呼びます。鯉吉とは数年前、ひょんな縁で知り合い、休みには東西南北、いろんなところへ出かけるようになりました。鯉吉と過ごした時間はけして長くはなかったけれど、お互いの性格や価値観を知り、将来パートナーになれるかを見極めるには十分な時間でした。見極めた結果、どちらも傷つかなかったと言えば嘘になるけれど、私たちはお互いの人生から身を引き、知り合う前の生活に戻って行きました。

月日が経ち、私は仕事の関係でアメリカに引っ越し、鯉吉は日本に住んでいました。ずっと連絡もしていなかったけれど、ひょんなことから連絡をとることになり、さらにひょんなことに夏休みに鯉吉とオレゴン州ポートランドを旅行することになりました。私たちは太平洋を隔てて、十分に別々の時間を過ごしていたので、お互いに対するわだかまりはなく(たぶん)、ただ夏休みを楽しみたいという思いでした。

私は旅を計画する上で、(目的地)×(季節)×(誰と行くかの)のコンビネーションを重要視しています。その土地が最も美しく輝く季節に、その土地の最大の魅力を引き出すであろう相棒と探検することが、旅全体の面白さを決める。旅のパートナーは、自分のレンズだけでは見ることのできない景色や、予測不能の発見、経験をもたらしてくれるかもしれない存在だと思っています。

ひょんなことから決まった鯉吉との1週間の旅行でしたが、(ポートランド)×(7月)×(鯉吉)の計算式は、私史上稀に見るワクワク指数を叩き出していました。鯉吉はポートランドの様々な魅力を引き出すのではなかろうか、という直感的な予測は大正解で、老舗のアイスクリーム屋から、道端の紫陽花の目の覚めるような鮮やかさに至るまで、ポートランドの魅力をたくさん発見することができました。

同時に、ポートランドは鯉吉の魅力を引き出していました。

楽しそうにクラフトビールを飲み比べる鯉吉。
夜から朝ご飯のパンケーキを楽しみにしている鯉吉。
慣れないアメリカの道路で、冷静沈着に安全運転する鯉吉。
Airbnb(民泊) のホストと心のこもった英語で話す鯉吉。

私は鯉吉を完全に、純粋に、旅のパートナーとして気に入ってしまうのです。そして思いました。この先、鯉吉も誰かと結婚して、もう一緒に旅行することはないかもしれないけれど、この夏にポートランドに来れたのが鯉吉とで良かった、と。

鯉吉と旅行したと言うと、まわりの友人から「元彼と旅行して、何もなかったん?」と必ず聞かれます。


が、本当になにもありませんでした。仲良く2つのツインベッドに揃って寝ていました。

ただ、一度だけ鯉吉にくっついたことがあります。それは、ポートランドからシアトルに向かう列車の中での出来事でした。4時間ほどの列車移動でしたが、車内は冷房が効きすぎていて(アメリカあるある)、何も考えず半袖で乗り込んだ私は一抹の不安を抱えながら席に着きました。一方、鯉吉はスマートにパッキングできるタイプなので、こういう事態に備えてか、薄手の長袖パーカーとタイ出張で買ったらしいシルク(偽)のストールなども手持ちのリュックに持っていました。当然のように、鯉吉はそのパーカーを羽織り、広げたストールに身を包みます。私は最初、寒さに耐えたのですが道のりは4時間ということもあり、特にためらいも恥じらいもなく、「ちょっと半分かしてな」と言って鯉吉のストールを半分自分のほうに引き寄せて、文字通り鯉吉にくっつきました。ただ1つ言えることは、これは「性」を求めての行為ではなく、極めて「生」を求めての行為でした。私は、まさに、文字通り、彼の温もりを欲していました。鯉吉は少し迷惑そうに「なんで貸さなあかんねん」と言いながらも、ストールを半分貸してくれました。

この旅で学んだことがあります。

それは、一度終焉した関係は形を変えて再生するかもしれないということ。
日々の暮らしの中で、鯉吉と私の間には絶対的な価値観の違いがあります。だから、恋人だった頃に話した「私がアメリカから帰ったら、一緒に住もう」という未来は実現しなかった。でも今、私は友人家族とヤギと猫と共に、鯉吉は2匹の愛犬と共に、それぞれ幸せな暮らしをしているのです。鯉吉と日常を共にすることは難しいけれど、日常じゃない場所に一緒に行くのはなぜかとても居心地がいいのです。

かつて賢人は言いました。

”育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ 
(中略)
性格曲げてまで気持ちおさえてまで付き合うことないけど
一人じゃ持ち切れない素敵な時間に
出来るだけいっしょにいたいのさ”(山崎、1996)

一人じゃ持ちきれない夏休み、つまりは単純に、また鯉吉と旅をしたいのです。
      

つづく...(?)

※一応、鯉吉の了承を得て掲載しました。