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「つまり」の考え方をしないと理解できない人

こんな話し方をする人、見かけたことはありませんか?

「つまり、○○っていうことですか?」
「それは✕✕ってことですよね~」
「逆に□□だってこと!」

何を隠そう、この私がそうです。

一つのことを覚えるまで時間がかかるのですが、いざ覚えてしまうと忘れにくくなるという特性があります。

物を覚えるまでの過程で何でも詰め込まれると頭がパンクしてしまうのです。
英語の文章を覚えるのに単語一個一個の意味を調べないと文章全体の意味を捉えられないみたいな感じです。
独学で取り組んでいるExcelが最たる例ですね。

私の場合、一つひとつのことに対していちいち確認しないと気が済まない質らしく、全体のニュアンスで捉えてしまうと後々とんでもないことになるケースが多くありました。
なので、確認するときは「要するに○○という認識でよろしいでしょうか?」みたいな言い方を使っています。

上述した3番目の言い方は、大学のゼミ等で一番お世話になった先生がよく使っていたフレーズです。
「社会の荒波で生き抜く」ことをテーマに、社会人としての言葉遣いや接し方について口うるさく指導する先生でした(今も私がいた大学で教鞭を取っているので現在進行形ではありますが…)。
確認する言い方も先生から教わった「生き抜く術」の一つ。
世の中には、お互いの認識のズレが原因でとんでもない事態を招くことがあるから、少しでも不安になったら「私はこういう認識です」と意思表示しろと教えられました。

「つまり」の考え方は、物事を理解するのに最適な考え方です。
一つひとつの意味を瞬時に理解することはできないけれど、自分なりに解釈するうちに意味をかいつまむようになるため、情報を砕きながらまとめることが可能になります。
だから今でもマシンガンで物を言われると、理解力が追いつかないあまり無になってしまいます。
一つずつ噛み砕いて教えてくれよ…と思うのですが、そうしてしまうと時間が大幅に取られてしまうので、なかなか難しいです。

物事を教えられるとき、人の話を聞いて覚える機会が大変多くあります。
しかし、脳の思考パターンは聴覚優位ではないそうです。
メンタルクリニックで「聴覚情報に弱い」ことが判明した私は、説明を追うのに精一杯。質問しにくい環境下では生き抜くことができません。
だからこそ、「つまり」の考え方が自然と身につくことができました。
逆を言うと、宅録系に関する記事で極力専門用語を排しているのは、そういう事情があるわけです。

この考え方が身につくと、なんとなく人に優しくなれる気がします。
私は優しいのかどうか分かりませんが、物を教える際には「分かりやすい」とよく言われます。

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