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朗読とナレーションとアナウンスの違いを私に教えてくれ!

「note朗読」主宰の身でありますが、カミングアウトさせていただきます。

実は私、朗読が苦手です。

元はアナウンサーになりたくてずっとアナウンスばっかりやっていました。
おかげでナレーションの得意分野は抑揚が少ない「ストレートナレーション」と「ニュース読み」です。

高1で迎えた春の大会(NHK高校放送コンテスト)では「初めてだから」という理由で朗読部門に出場。当時は台詞を読むのに懐疑的だったので地の文が多めの部分をチョイスしました。
「とりあえず読んでみる」ことをK子先生(顧問)に厳命され念頭に置いて迎えた本番。他校のアナウンス部門に圧倒されながらも刺激をもらい、秋の大会から3年までずっとアナウンス一本で頑張りました。
残念ながら良い結果を残すことはできませんでしたが、放送部の経験は人格形成の大きな要になっていると自負しています。

何故朗読が苦手なのか。それは、文章を読まされているように思えて仕方ないからです。
よむ」と付いているので当然読んではいるのですが、なーんか雰囲気を出すとか作風を再現するとかって…読みでそんなことできるのかよと疑問視しているんですよね。
聴覚情報を瞬時に把握させる役割を担うアナウンスと違って、朗読は作品が持っている味わいを声で表現することを重きに置いているってのも大きいでしょう。

でも、私思うんです。
朗読って長く聴いちゃうと眠くなるじゃないですか。表現したところで寝落ちされたら元も子もないと思いませんか?
少なくとも放送の大会で朗読部門を見ていたときは眠気との格闘でしたよ。(マジです)

読みの技術の話をすると、朗読とナレーションとアナウンスって結構違うんですよ。ただ、これらを聴き比べたところで読みの違いが分かる素人は少ないと考えます。
根本的な発声が同じだからってのもあります。しかし現実は思ったより非情で、朗読だろうがナレーションだろうがアナウンスだろうが「良い声ですね!」で片付けられるのがオチなんです。

良い声だからといって形が成立するものではない

「良い声だから読みが成立している」という固定概念があります。
ここでいう「良い声」とは、生まれ持ったものなのか技術研鑽を重ねたものなのかで大きく意味が変わります。
前者であれば声が良くない人もいるっていうようなニュアンスに取ってしまうことがあります。それであればダミ声やかすれ声だって良い声なんじゃない?と私は感じます。
後者はコンプレックスを武器に変えようとする心意気が読み取れますし、何より声を出す楽しさを味わっているように思えてなりませんよね。
褒めたつもりで「良い声」と言っても、人によっては苦しめることにも繋がりかねない可能性もあるんですね。
(実は私もその一人…それでも言われるとすごく嬉しいです!これはマジ!!)

朗読嫌いが朗読をする

noteでも多くの朗読コンテンツが軒を連ねています。
早い話が、朗読って予め書かれた文章を読むだけなのでめっちゃ楽なんですよね。私もそうです。
「書かれた文章を読む」であればナレーションも該当しますが、あれはPRするための読み技術が必須(アナウンスじゃないよ)になるのでどうしても表現の制約がかかります。
その点朗読は音声表現が自由なのである意味ストレスフリーで味付けができるのですごく楽なんです。

☆音声表現の自由度☆
朗読

ナレーション

(越えられない壁)

アナウンス

※虹倉個人の見解です

私、朗読表現の自由度の高さがマジで苦手すぎるっ!!!

初期のnote朗読を聴いていただけると分かるんですが、私って気を抜くと固めの読みになってしまいがちになるんです。
というのも、アナウンサーの読みばかり耳に入れていたというのもあって「地の文に表情を付ける」というのが全然ピンと来ませんでした。(朗読検定の通信教育でも指摘されたくらいです)

一ヶ月前の私であれば、朗読に対する違和感を払拭しないまま「ナレーション表現の勉強の場」として取り組んでいたことでしょう。
しかし、あるnoteを読んでようやくその違和感を言葉にしてくれたワードと出会いました。

それは、ナレーターの有野優樹ひろきさんの記事で引用されていたTwitterでした。

「話を邪魔しない朗読」「朗読はただ読めばいい訳ではない」

こっ…こっ……これだー!!!!!(デデーン)

虹倉きり心の叫び

「今まで朗読に対して懐疑的になっていたのって、やたら作品に胡麻をすろうとしているのが多かった!だから受け付けなかったのか!!」

やっと腑に落ちました。

作品の胡麻すりに関してはおそらく皆さんが無意識にやっていることなので決してそれが悪いと言いたいわけではありません。何なら私がそうです。

思えば朗読って、作品によって地の文が一人称なのか三人称なのかで全然読みのアプローチも変わるし、登場人物だって憑依させないと駄目なパターンもありました。
そう考えると、自由度の高さは自分らしい朗読を作り上げるってのが最適解なんだと改めて感じます。

noteの住人にとって、朗読とナレーションとアナウンスはどう聴こえるのでしょうか?
未だ私は、明確な違いを見つけることができていません…

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