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わたしが満たされる書き方

ついこの前、月が満ちたと思ったら今日はもう下弦。お月さまはいつも少し忙しない。巡りて巡る月日。「つきひ」と月を先に書くのは月が太陽を追っかけているからなのかな?

ゆっくりnoteの記事を書こうと思うのに、なかなか落ち着いて書けないのは書きたいことがありすぎて、どれから書いていけばいいのかわからないからかもしれない。そんな盛り沢山な毎日を今は過ごしていて、それはちょっと前の自分が望んでいたことでもあるから日々を大切に過ごしていきたい。

とはいえ、全く書くことをしていないかというとそうではなくて、毎朝そして寝る前の日記は欠かさず書いている。それももう5年目に突入。書き始めた当初はそんなに続くとは思ってもいなかったけど。その日の出来事や今感じていることをただ書き連ねただけの誰にも見せることのない言葉たちは積もり積もって、けっこうなボリュームになっているはず。紙の日記帳ではなくpomeraでタイピングしているので、どれだけ書いてきたのか目に見える形で確かめることはできない。

「書いてないときも書いている」

思いや考えを言葉に置き換えるまでの沈黙、言葉が立ち上がって来るまでの時間も実は書くことに含まれていて、その時間はとても豊かだ。それは熟成とか発酵に近いプロセスなのでただ待つことしかできないけれど、時が醸す言葉のふくよかさを味わうには時間の魔法が必要なんだろう。

そうやって誰にでもなく、私だけに向けて書き綴られていく言葉はいつか何か別の形になって生まれ変わったりするのかもしれない。

奈良のカフェには鹿のお菓子がよく登場する。
こういう動物もののお菓子は毎回どこから食べたらいいのか困ってしまう。
頭から食べるべきか、それとも尻尾から?!


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