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随筆風SS【八グラム】

『作家と珈琲』(平凡社)という本を読んだ。
五十人以上の作家による珈琲にまつわる随筆を集めたもので、珈琲を飲みながら読むには最適な楽しい本だった。
読んでいるうちに、私も作家になったつもりでひとつ書いてみたくなった。
先日の『あとがき』同様、【作家ごっこ】の一環である。
以下、『随筆風のフィクション』としてお読みください。

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【八グラム】(1018文字)

 私は毎朝一杯の珈琲を飲む。
 元々は、どちらかと言うと紅茶派であった。
 しかし、ある時期から珈琲派に変わっていたのである。
 そういえば、老齢になってからの母がしきりに珈琲を飲みたがっていたことを思い出し、私もそろそろ『老齢』に差しかかるのかもしれないなぁ、などと思う。
 母が珈琲を欲したのは、慢性の頭痛を鎮めるためでもあったようだ。
 私と二人で京都を旅した折など、お昼は美味しいレストランでと思っていたのに、「今日はまだ珈琲を飲んでいないから飲みたい。トイレも行きたいし」と急に言い出して、止める間もなくどこにでもあるチェーン店のパン屋にとっとと入ってしまった。京都まで来てパン屋でランチ……。懐かしくもほろ苦い記憶である。
 私は頭痛もちではないが、少し頭を重く感じる時に珈琲を飲むと治ってしまうことがあり、そんな体験が数回あって、いつしか珈琲派になったのかもしれない。

 とにかく最近は、午前中に珈琲を一杯飲みたくなるのである。
 と言っても、自分で豆を挽いて丁寧に……などということはしない。もっぱら個包装のドリップ珈琲である。しかも安価な八グラム入り。
 ここで少しこだわって、珈琲を淹れる器具など揃えて、お気に入りの豆なども見つけてしまうと、さらにハマるのかもしれない。
 しかし私は「なにかにコントロールされる」ことに抵抗があるのだ。
 今ならせいぜい「朝、一杯飲みたくなる」程度だが、ここにいろいろとオプションを付けて「珈琲」の本格度が増してしまうと、珈琲の方からコントロールされそうな気がする。八グラムのドリップ珈琲程度なら、主導権を手放すことなく、いつでもさよならできそうな気楽さがある。
 とはいえ……今朝もドリップ珈琲の袋を手に取っているのだから、すでに珈琲にコントロールされている可能性もある。

 そういえば、「嫌になったらいつでも別れたらいいし」と思って一緒になった人とも三十年以上一緒にいるのだった。この人も八グラム入りドリップ珈琲みたいな人で、私にはちょうどよかった。
 十グラム以上では重いし、七グラム以下では薄過ぎる。全てにおいてほどほど、適度な距離感でいられる人。
 ドリップ珈琲もそうならないとは限らない。
 いつでも手放せるけど……でも毎朝つい、手に取ってしまう。そして、それが与えてくれるささやかな時間をほんのりと愛おしむ。なくてはならない存在になりつつある。

 たかが珈琲、されど珈琲。
 なにかに軽くコントロールされることも、わるくはないのかもしれない。


おわり



© 2024/4/25 ikue.m


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