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SS【抱擁】#シロクマ文芸部

お題「冬の色」から始まる物語

【抱擁】(1723文字)


 『冬の色』という絵が一枚だけ私の手許に残されている。
 兄の死後も画商が何度も訪れては、遺された絵はないでしょうかと聞きに来るのだが、私は黙って首を横に振る。
 兄の絵は数は少ないもののMoMAに買い上げられた作品もあり、コレクター人気が高い。兄が亡くなったことで評価はさらに高まっており、作品の中には億の値が付いたものもあるが、私は手放す気はない。
 『冬の色』は私にとって画家『高梨 玄』の絵ではなく、兄が私に遺してくれた絵に過ぎないのだから。

 兄は若い頃から絵を描くことが好きだった。私とは一回り違うので、幼い頃の最初の記憶では兄はもう高校生だった。ほっそりとした身体、色白で端正な面差し、歌舞伎の女形みたいだとからかわれていたが、穏やかな性格ながら芯の通ったところがあり、周囲からは一目置かれているようだった。私にとっては、ただひたすらに優しい兄だったけれど。

「令は絵が上手だなぁ」
 兄は幼稚園児の拙い絵を、心から感動したように褒めてくれた。
「あたしもおにいちゃんみたいにかきたい」
「僕は好きに描いてるだけさ。令もそうすればいいんだよ」

 兄はその頃すでに全国的な絵画コンクールで優勝し、東京の美大へ進むことも決まっていた。画家として将来を嘱望されていたのである。
 しかし人生は順風満帆とはいかない…。

 兄が美大に入って二年目に父が病死、その数か月後に母が自殺したのである。私はまだ小学二年生だった。私が学校から帰った時、台所のドアの隙間から、母の足裏が見えた。真っ白な靴下を履いた足。その白さだけが心に焼き付いて、それ以外の記憶はない。

 兄は大学を辞め、東京から帰ってきた。
「父さんと母さんは仲がよかったからな…」
 兄は私の手を握りしめてつぶやいた。私を親戚に預ける話も出たようだが兄は聞き入れず、それからはずっと家で絵を描きながら私を育ててくれた。兄の絵はすでに画壇でも評価されていたので、扱ってくれる画商もおり、遺産もあったことから経済的な不安はなかった。大変だったのはきっと家事や子育ての方だったろう。でもそれは後から理解したことで、当時の私は、兄が一緒にいてくれることが、ただただ嬉しくて兄にまとわりついていた。
 でも兄は一度たりとも私を邪険にはしなかった。絵を描くのに随分と邪魔だったろうに…。

 私が中学生になった頃、私は兄のアトリエで一枚のキャンバスを見つけた。F10号のさほど大きくはないもので、緑色が一面に塗られている。しかし緑と言っても、なんとも複雑な色で、その色は私に童話に出てくる魔法使いの森をイメージさせた。
「これ、とてもきれい」
「それはね、『冬の色』だよ」
「みどりいろなのに?」
 兄はフフ、と笑ってキャンバスを持ち上げた。

「悲しいことがある度に…色を塗り重ねているんだ。悲しみを象徴する色をね。でも一番最後には白を塗る。それだけは決めている。すべてを覆い隠す雪の色は白だろう?だから作品名は『冬の色』。この絵は完成したら令にあげるからね」

 それから二十五年。
 兄は五十歳で死んでしまった。母と同じ歳に母と同じように…。
 亡くなる三日前、兄は私に白く塗られた『冬の色』を見せてくれた。
「おにいちゃん…完成したの?」
 兄はうなずいた。若い頃と変わらない、美しい微笑を浮かべて。

「悲しみはぜんぶ、ここに埋めたよ」
 それは、一見真っ白にしか見えないキャンバスだったけれど、その下に塗り込められた何層もの色が私には感じられた。…悲しいことがある度に塗り重ねられたはずの。その絵は兄の悲しみそのものだったのだ。でもなんて美しいんだろう…。

 私は泣いていた。美しさに打たれて泣いたのか、私では兄の悲しみを拭えなかったことで泣いたのか…わからないけれど。
 その涙を兄がそっと指先で拭う。
「令はもう大丈夫だよ。埋めきれなかった悲しみは僕が持っていくからね」


 …兄の言ったことが本当なら、私が今感じているこの気持ちはなんだろう。悲しみと名付けられないのなら?

 私は、床の上に置いたキャンバスに顔を近づけた。兄の死を知ったショックで真っ白になってしまった私の長い髪が『冬の色』の上に零れ落ちる。
 それは降り積もる雪のように絵の中に溶け込み、兄が抱きしめてくれた時のような安らぎを私に与えてくれた。


おわり

(2023/12/9 作)

小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』イベントに参加させていただきました。
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